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[125] Re[118]: はじめて行くんですけど 投稿者:内田勝利 投稿日:2000/01/20(Thu) 18:33
みよみよさん、こんにちは。

>舞台とかはじめて行くんですけど、チケットの渡し方とか全然
>分かりません。入り口で渡したらいいんでしょうか?

チケットは、入り口で渡したらOKですよ。映画館とほとんど同じ
です。違いは、入場時に渡される膨大なチラシくらいでしょうか(笑)

結構、ヘビーな芝居ですから、体調を整えて行くことをオススメ
しますです。


 


[124] ヤス化していく小夏、妙な貫禄の出てきたヤス 投稿者:MENA 投稿日:2000/01/20(Thu) 04:10
私も初日の15日、16日昼、17日夜を見てきました。
えー、ほんとにネタバレでも、ただの感想でもいいんでしょうか。
皆さんおっしゃってるように、私もまだ、うまくまとまらないのです。
大阪が終わることには、少し落ち着いて書けるかもしれませんが。
ただ、この3日間は、観る側(観客)の印象もだいぶ異なりました。
初日はやはり観る方も演る方も緊張感が漂っていて、やや硬い感じがありましたし、2日目は早速1日目と変わったところもあって、安定してきだしたようでした。
でも、この1,2日目は去年からのリピーター?が多かったせいか、それとも何か別の要因のためかわかりませんが、いつも笑えるところで笑えない雰囲気になってしまったところはありました。
それはいいんですが、気のせいか中座する人が多かったようにも思えました。
(舞台は2時間半強、休憩無しですから、事前にお手洗いに行っておきましょう。)
しかも、私の後ろの人は途中でなんどもひそひそお喋りしているのです。しかもあの、後半の盛り上がりのところで、二度目の中座されたときはびっくり。(何かしら事情があったかもしれませんが。)
去年は中盤で居眠りしていたおっちゃんとかいましたが、さすがに後半のクライマックスでは誰もが息を呑んで見入ってしまっていたのに…。なんだか水をさされたようで、すごく哀しかった。
そういうこともあって、翌日、がんばって仕事を切り上げて当日券で行きました。
平日の晩で、初見の人も多かったのかわかりませんが、なんだか素直な盛り上がりがあって、一番楽しめました。立見席から全体が見れたせいもあるのでしょうけど。
「君だけに」のところも、月曜のは笑い起こってましたし、出演者のノリもだいぶ良くなっていました。
そう、この蒲田2000は去年のと比べ、出だしからだいぶ変わっていて、このままだと全く違う舞台になってしまうのか、という恐れと期待に包まれましたが、中盤からやはり去年と同じベースに戻ったときは、なぜかほっとしました。初日同行した友人は、去年も初日に同席してたのですが、「剛くんのところだけ、あまり変わってないんだね。」と開口一番の感想を聞いたとき、いかにこの蒲田行進曲という舞台が、今まで生き物ののように少しずつ変わっていったかを、改めて振りかえりました。再演というより、去年の東京千秋楽から、「続いて」いるような感じを受けました。
そうである一方で、1年弱のインターバルの中で、剛くんもニッキも小西さんも、つか劇団の皆さんも、沢山のお仕事をこなしていかれた中で、それぞれが明らかに成長していったのが、伝わりました。
錦織銀ちゃんは、当初はどうしても先代銀ちゃんと比較されて、まだその甘さを指摘されていましたが、今回は、もう立派に銀ちゃんだと誰もが認めるところまで来た来た〜という感じでした。ほんとに、「銀ちゃん、かっこい!」でした。
小夏は、小西さんは明らかに上手くなってきた。去年より華奢になった体付きが、元スターというより、女としての健気さを強調させているようにも見えました。
そして、後半のヤスの一人長ダイシじゃなくて長セリフに対しての、「小夏の反撃」部分が去年より日に日に膨張していき、それがそのまま蒲田2000の一つの特徴として固定されてきました。その反撃ぶりを見てると、生まれ行くものを腹に抱えている故か、そのポジティブなコミカルさが、ヤスの中のどす黒い闇を浄化させているようで、またそのやりとりがいっそ、犬も食わない夫婦喧嘩か、一歩間違えれば夫婦漫才にもなりかねないところまで持って行ってしまったようで、不思議な気がしました。
狂気のヤスに対抗してのことですから、小夏の反撃も大変です。剛くんが、今年は声の心配が薄れてきた分、小西さんの声が心配になってきた程です。必死のヤスに対して、必死の小夏。3日目はノリが良かったのか、ヤスにスカートの中をほれほれと見せ、今にもカンカンでも踊り出しかねないハジケっぷり。どうしたんだ、小西真奈美!やはり魔物のヤスこと、くさなぎつよしの毒気に、とうとう伝染してしまったのか。
一方、くさなぎヤスは、去年と同じようなセリフにもかかわらず、どこか安定した落ち着きが見えました。確かに、ただの大部屋なだけでなく、もうすぐスターさんになる人扱いなところを敢えて入れているあたり、つかさんの目論みが伺われます。
確かに、役者が脚本を書かせているような気がしました。
とすると、やはりくさなぎつよしは、魔性、魔性、魔性のオ・ト・コなのですね…。

どうもだらだらまとまらまくって、失礼しました。20日よりまた変わってしまいそうでつい焦ってしまいました。ほんとはこれから書きたいことがあるのですが…。(だって、まだ肝心のくさなぎ論があ。)ではまた、後日に。

 


[123] 卑怯だ! 投稿者:maiko 投稿日:2000/01/20(Thu) 03:21
これははもう一種の遠隔殺人だ(爆)
どこまで客の心拍数を上げるんだ!
わかってる・・・私が悪いことぐらい。
去年見逃している分、「自分の目で味わってから蒲田ネタバレを楽しもう」と心に固く誓った翌日には、鼻血爆流限界で覗き見てしまった研究所。みんなの燃え滾る感想を目で追うたび、己の想像力キャパをはるかにOVERしどんどん脈拍が上げっていく。

みんなでなんとか「言葉で表してやろう」と奮闘するあの人物・・・。
「素晴らしい俳優に付ける形容詞」として、英語だったら「Great」とか「brilliant」とか(我乏しい英語力ではコレが限界;_;)が使われると思うが、日本語で奴を表すには何万もの形容詞や修飾語が存在するような気がするし、もしかしたらそんなものは存在しないかもしれないとも思う。

「・・・・の(な)クサナギツヨシ」vs「クサナギツヨシ」

「vs」はいつでも「=」か?
それとも「クサナギツヨシ」という言葉でしか表せないのかぁ?

分かってる!分かってるサ!
自分で勝手に問題をヤヤコシくしていることも・・・(+_+;)

http://httterp://


[122] ヤスさん… 投稿者: 投稿日:2000/01/20(Thu) 03:16
クサナギツヨシという人の中で、ヤスという人が呼吸しているとき、
クサナギツヨシの血の流れは全く違うものになっているんでしょうか?
思い出すだけで今も目頭が熱くなります。

皆さんのように感想をうまく文章にすることができません。
せめて一言だけ、書き込みさせて下さい。

 


[120] 16才だからこそ 投稿者:夢楽 投稿日:2000/01/19(Wed) 22:46
観てください、みよみよさん。生の舞台は、きっとあなたの人生に大きな影響を及ぼしてくれます。それが蒲田なんてあなたはとても幸運だと思います。

あなたより随分おねーさんの私は、大阪の初日と次の日の2回観たものの、頭の中でまとまらなくて困ってます(情けなし)。
論理的にでなく、感情的な感想。それぞれに究極に想い想われる銀ちゃん、小夏、ヤスに嫉妬の感情を覚えました。(パンフレットに寄稿されている飯島早苗さんの文章は、シンプルに私の気持ちを代弁してくれています。普通の人間はそこまでの勇気はないんですね。)そして、
「俺、コンプレックスいっぱいもっててよかった」とついに言いきったクサナギツヨシにとてつもなく嫉妬しているのが自分でわかります。ああああ、つかさんが「いろいろ削ぎ落としてシンプルにした」結果浮き上がってきた役者の人間性ってこれだったんでしょうか。
明日大阪でなにが起こるのでしょう…

 


[119] 感想!? 投稿者:みえ 投稿日:2000/01/19(Wed) 17:49
管理人様のお言葉につられて、初めて感想を書きに来させていただきました。
初日と16日の夜の部を観ました。それ以来、「また観たい」という
欲望にとらわれております。
昨年の初演を見た時も確かに舞台に圧倒され、
「再演されたら又、観たい。」とは思ったのですが、今回はそれ以上。
何が一体私をそんな気持ちにさせるのか、その欲望は舞台をみればいつか収まるのか、それすらもわかりません。
舞台の上にいるのは「ヤス」なのでしょうか?それとも「クサナギツヨシ」なのでしょうか?
そんな思いを抱えつつ、本日つかさんのHPに行ったところ、またもや私の欲望を駆り立てるようなTOPページ。ふぅ〜。

昨年、某ラジオで剛君は「沢山の人に見て欲しい」と「7回も8回も見るならチケットが取れなく見てない人に譲ってあげれば良いのに」
というような事を話してました。「また観たい」と「沢山の人に観て欲しい」の板ばさみ状態。一体私はどうすれば良いのでしょうか?
後一回、チケットは取ってあります。けど、気がつくと当日券売り場に並んでいそうな気もします。
なにせ、通勤途中に劇場があるのですから。

(こんな書きこみでも良いのでしょうか?ちょっと不安。)

 


[118] はじめて行くんですけど 投稿者:みよみよ 投稿日:2000/01/19(Wed) 17:28
舞台とかはじめて行くんですけど、チケットの
渡し方とか全然分かりません。入り口で渡したらいいんでしょうか?
ドキドキしてます。マナーとかはちゃんと分かってるのでいいんですが、16才のガキンチョがいっていいのかな?と不安に思ってます。

 


[117] 『蒲田』大阪にて 投稿者:つかこうへい事務所 投稿日:2000/01/19(Wed) 10:32
 いつも皆様の活発なご意見、ご感想、そしてなにより、草ナギ剛
さんへの、真摯な思いを拝見させていただいております。

 さて、つかこうへい事務所のホームページのトップページをご覧
ください。

 『蒲田行進曲』大阪
 いよいよ明日1月20日
 肥大化する『化け物』の進化を阻止する時がきた。
 
 凶器:ナイフ
 罪状:殺人

 加害者 倉丘銀四郎

 腹にナイフを突き刺したまま、
 血まみれの階段落ちが始まる!!


 と、あります。
 どんな舞台になっていくのか、こうご期待。

 これからもこのページの発展を祈りつつ、『蒲田行進曲』
をよりよいものにと、つか自身取り組んでおります。
 ご支援のほどよろしくお願いいたします。

http://www.tsuka.co.jp/


[116] たかがツヨシ、です。 投稿者:びすこ 投稿日:2000/01/19(Wed) 08:09
>cyuさん
>でも見なきゃ。頑張るぞ!

そうです、その通りです。ガンガンきてください。

>YO-YO-さん
>すぐに感想を書くことが出来なかったのです。私だけかなと思っていたら、みなさん混乱しているようですね。

うんうんわかります。でもこれはクサナギからの挑戦状かもよ?(大袈裟)

まだ再演を観てない方々、頭をゴムにしてますか?ゴムまりになってガンガンきても壊れないようにしておいてくださいね(かなり大袈裟・笑)

管理人さんたちもおっしゃてますが、舞台を観て疲れるってどういうことなんでしょう?『蒲田』を観て最初に書き込んだあと、はっきりいってへろへろでした。でもいまは「なんで“たかが”ツヨシのことなのに」ってすっごく悔しくなって「ちきしょー負けないぞっ!」と前向きになってます。

『たかがツヨシ、されどツヨシ』

あの素直じゃない男をギャフンといわせたくなっちゃいました。それが“ヤスへ”なのか“クサナギへ”なのかはいまのところわかりません。

でもクサナギがみなさんが書いてる文面を仮に読んだとしてもヤツは「だからなんだよ、わかってねーよ」といってる気がしてきて。←根拠はない。
そー思ったらなんだかムカムカしてきちゃいました。
ホントはクサナギのことを外に向って知ってもらいたかったのだけどそれももちろんなんだけども、「アンタのこと、絶対“ことば”にしてやる」って唐突に文才もないのに思ってしまいました。

彼はなんだか自分のことは自分しか知らないって思ってる気がするんです。クサナギのこと、ココをのぞいてる人以上に知ってるわけでもないし、けっこーどうでもいい気もするんですが(おいっ(^^;)『蒲田行進曲』を観てしまうと、どうにかしなきゃいけない感覚に襲われてしまう。

小夏をののしるシーン、マコトを語るシーン、銀ちゃんを睨みつけるシーン
どれをとってもヤスでありクサナギでもある気がしました。それがクサナギの演技なのかもしれませんが。お客をだますことが役者の使命ならそれを暴くのだってお客の楽しみであってもいいと思います。

ちきしょー負けないぞっ!?(笑)

将来、彼がどーなってるか知りませんがそのときになって「あんときゃーこーだったんだよ」って語るのに『すごかったんだよ』だけじゃない言葉がいえたら嬉しいな、って思ってます。

いまヤツのこと書かねば!!へろへろしてる場合じゃないんですよね?

 


[115] せつないぞー!! 投稿者:YO-YO- 投稿日:2000/01/19(Wed) 05:53
16日の夜に観に行きました。初めて書かせてもらいます。
実は以前から、みなさんいろんなふうに剛君のこと見ているんだなーって、「クサナギツヨシ研究所」楽しく読ませてもらってて、私も観にいってから参加させてもらおう!と思っていたんですが、すぐに感想を書くことが出来なかったのです。
私だけかなと思っていたら、みなさん混乱しているようですね。なんかちょっとホッとしました。
あまりに去年の「蒲田」が素晴らしく、印象に残っているので、混乱しているんだ、と他の方の感想を読んで、やっと分かりました。
今回の「蒲田」を観終わって、私はとってもせつない感情におそわれてしまったのです。去年には無かったことでした。
去年の舞台は、最初にヤスが登場して、ニタッと笑った瞬間から、その笑顔にまず引き込まれました。随所に可愛らしくて、素直で、無邪気なヤスがちりばめられていて、そんなヤスに、救われたような気がします。(それがクサナギツヨシの最大の魅力ですよね!)
ラストも、ハッピーエンドで終わるお話なので、本当に楽しかったのです。つかさんが、「蒲田1999は、さわやかな青春ものになった。」と言っていた通りだった。
それがです、今回は「あー良かったね。楽しかった。」なんてとても言えない。(もちろんつまらなかった、良くなかったと言うことではありませんよ!)
さっきも書きましたが、私自身がせつなくなってしまったのです。それも、しばらく尾を引いて・・・
はじめはどうして私こんなにブルーになってるんだろう?私自身の心境のせいかな?それともお客さん全体の雰囲気かな?今回の「蒲田」に不満でもあるのかな?とか色々思ったくらいで、みんなはどんなふうに思ったんだろう?って気なっていたんで、このクサナギ研究所で、いろんな方の意見が聞けてうれしいです。
観終わって、少し時間がたって私なりに整理した感想ですが、銀ちゃん、小夏、それからヤスの3人の愛が痛いくらい伝わってきました。ヤスの台詞「好きになればなるほど、心がいたかったんだ。」これが一番象徴的な言葉です。私のなかでは・・・
なんだかよく分からない事を、長々と書いてしまいましたが、役者クサナギツヨシの感想はと言うと、まだ分からなくて、とても書けるような状態じゃないので、次観る時には何か分かるかなと楽しみにしています。

 


[114] どんどん感想書いてください(^^)。 投稿者:松本有紀@管理人 投稿日:2000/01/19(Wed) 01:59
「蒲田行進曲2000」、わたしを含めて、みなさんの頭を真っ白に、
顔を真っ青に、握り締めた手を真っ赤にさせてるんじゃないかと
思います。

ごらんになった方は、どうぞどんどん書いてください。
わからなくっていい、「論」になんかなってなくていいんだと
思います。

どんなことを感じたか、どんな場面が心にひっかかったのか、
たくさんのみなさんの、ちょっとした「こんな感じ・・・」が、
きっとあの、史上最強のよくわからない役者(?)、クサナギツヨシ
の「何か」をつかむキーワードになるんじゃないかと思います。

わたしも、もうまったくわからなくなってます(笑)。助けて(爆)

 


[113] 歯が痛い・・・。(うわごと) 投稿者:cyu 投稿日:2000/01/19(Wed) 01:47
見てきました。
大阪初日。2日目の昼公演。
最初は評判の良かった去年につい色気を出して、
あちこち手を加えたのか、と思った。
2回目を見て、「そうではない、何か去年とは違う
まったく別の形」を目指しているのではないか、と感じた。

初めての私の書き込みにレス下さった方、ごめんなさい。
今蒲田2000を見て頭ごちゃごちゃです。真っ白です。

確かに長くファンなんて者をやってると
「草なぎくんにはファンにしか分からない魅力ってあるものよ。」なんてさんざん、言ってました。
が、それをつか先生をしていざ、そのそこ知れぬ力を
舞台上に「どうだ!」とだされると、余りの魔力に抵抗できなく
なってしまいそうです。

 去年の「神様の領域」に入るような「ヤス」の無垢さに魂が
揺さぶられ涙した筈なのに。
 今年の「・・(まだ何と表記していいかわかりません)」の「ヤス」のサディスティックに人をいたぶって、はっきりと「悪」と分かっているのになお、引き付けられる美しさは何なのでしょうか。
 スターである銀四郎を狂気に導き、小夏の女心を揺るがした今年のヤスはひょっとするともしかして、もしかして・・・・。

 ああ、今年の蒲田は単に去年のパワーアップバージョンでは無かったのか。(だから見る公演を押さえ目にしてたのに。)
忘れていた。この舞台はあの草なぎ剛出演だ。
 演出はあのつかこうへいだ。
この2人が組んでただの再演で終わる訳が無かったのに・・。
伝説は去年で終わっていなかったのか?
もしかして今から生まれるのか?
こわい、こわい。それを目撃するのが何故か恐い。

でも見なきゃ。頑張るぞ!
(そして私は当初まったく予定の無かった公演日の
チケット取りに錯綜しているのでした・・。)

全然論じて無いうえに、「寝言は寝てからゆって!」
ってな感じの書き込み、すみません・・・・。

 


[112] クサナギくんはすごい!と思う。 投稿者:ともみ 投稿日:2000/01/18(Tue) 23:27
18日の昼公演を見ました。前回公演よりも3人の関係・愛と友情と夢と嫉妬の交差する関係がよく表現され、私の気持ちにダイレクトに伝わってきたように思います。クナサギくん演ずるヤスは、とても心を痛め苦しんでいるように思えてなりません。「妊婦を蹴って悪人と思われない唯一の人間」あれほど小夏を殴り蹴りしても「ヤスは悪人」と思えないのは、小夏を痛めつけながら、もっと痛み苦しんでいるのがヤスだから。自分で押さえきれない嫉妬や痛み・苦しみや憤りから小夏を殴り蹴っているけれど、それを一番知っているのはヤスで、自分がそんな人間であることにまた傷つき苦しみ、苦しんでまた繰り返してしまう。はっきりとした表情やセリフでそれを表してはいないけれど、そこまで伝わってくるからこそ、私はヤスの苦しみに涙しました。ここまで表現できるクサナギくんは、技術的に発展途上であることとは別に、非常に優れた役者であると思います。そして、優れた役者クサナギツヨシの根本にはクサナギくん自身の潔さ・強さ・繊細さがあるのだと思います。強くない・潔くない人間は、自分の弱いところ・汚いところ・コンプレックスなどを自分の目では見ません。認めません。自分の弱さ・汚さを無意識の内に、自分の中で、あいまいにしたり、ごまかしたりします。でも、自分の弱さ・汚さを認められない人は、そこから生まれる痛みも苦しみも自分で認めることができません。反対に自分の弱さや汚さを気負い過ぎる人は、そこから生まれる痛みや苦しみに押しつぶされてしまいます。弱さも痛みも汚さも苦しみも、そして、優しさも悲しさも、同時にひとりの人間の中にあるのです。それらを自分の中に抱え見つめているクサナギくんだから、それを繊細に感じ取れているクサナギくんだから、ヤスという人間の弱さも痛みも汚さも優しさも悲しみも、あれほど心痛いまでに表現できるのでしょう。私はそういうふうに感じています。話は変わりますが、私にはクサナギくんがヤスを「演じている」という感覚がありません。舞台上、あれはクサナギくんではなく、かといってヤスというほど「ヤスに同化」しているようでもなく、クサナギくんとヤス二人で一人・・のような感覚。もしかすると、ヤスの痛みを感じるとき、ヤスの優しさを感じるとき、それはそれぞれにクサナギくんの痛みを、クサナギくんの優しさを同時に感じさせてくれているのかもしれません。クサナギくんはすばらしい役者だと思います。もっともっと精進して、もっともっとすばらしい役者に育っていって欲しいと思います。(やはり技巧的なことは精進していく他ないと思いますので。)そして、できればどんどん舞台をやっていって欲しいです。ドラマもいいですけど、直接ふれあえる舞台が一番好きです。本日の舞台を見たそのままの感動で記しました。幼稚な表現等々お許しください。もう一度23日の夜公演に行きますので、再度今日の感動を味わってくるつもりです。

 


[111] 無題 投稿者:やすこ 投稿日:2000/01/18(Tue) 16:35
前回、ここに書き込むのに2時間くらいかかりました。
今回も、キーを叩くのに時間がかかりそうです。
ぴすこさん、素早い答え有難うございました。
ヤスはうだつのあがらない役者で、未来のない大部屋で、ゴミのはずなのに、強烈な存在感をもって最後、スタアである銀ちゃんに斬りかかっていきます。まるで殉教者のように美しいと、去年ひとが言っているのを聞いて、東京からの帰り、新幹線の中で、殉教者やったらアカンのとちゃうんか、ヤスは大部屋なんやから、ゴミなんやから、美しかったらアカンのとちゃうんか、とブチブチ愚痴っていた覚えがあります。クサナギさんはともかく、ヤスは大部屋なんやし…つかさんがクサナギさんに当ててヤスを描いた時点で、ヤスは大部屋ではなくなっていったのかしら。
今年、ヤスはさらに非情になっているようにも思えます。小夏を引き取るくだり、去年は映画のため、銀ちゃんのため、小夏さんのために引き取るように感じられたのが、今年は映画のために引き取っているように思いました。(「俺の大砲撃ち込んでやりましょうか」。幸せにしてくれるか、との小夏の問いに一瞬、逃げようとするヤスとか。)もちろん後半では、小夏に向けての愛も出てくるんですけど、最初は。だから、小夏の気を引こうとホモだの法隆寺だの言ってるヤスが、小夏の台詞通り白々しいヤロウに思えて、笑えなかったのかもしれない。
今年のヤスは、怖いですね。殴られ続ける小夏が、去年は地蔵のように丈夫だった小夏が、今年は脅えてますからね。魔物というのは当たっているかもしれません。
マコトのくだりは、去年初めてみたときに一番、引いたトコロでした。泣かせようとしてやがる、と思った途端、出かけた涙が引っ込みました。でも、後であれはマコトのことではなく自分のことを言っているのだ、とひとに諭されたとき、改めて涙しました。自分の血を引いていない赤ん坊への不安や苦しみが、風呂場でもがくマコトが、母親の羊水のなかで生まれたいともがく赤ん坊にも見え、生まれ変わりたいと(昇華したい?)もがくヤスにも見えました。でも表情は相変わらず見えませんでした。目が悪いのか想像力が貧困なのか。ああ、そうなると階段は産道だねえと、蒲田ってのはヤスが羊水の中で必死にもがいて、産道を転がり落ちてもう一度、生まれ変わる話なのかねえ、と決着がついたところで去年の私の中の蒲田像は固まりました。そうじゃないのかも知れんけども、そうでも思わんことには消化しきれそうになかったから。
今年のヤスは殉教者ではないですね。魔物と片づけるのもまだ早いですけども、人間かしらとは思う。太秦でジェームスディーンになりたいヤスを、私は今まで馬鹿なやつだね、と笑ってきました。今年は笑えない。望めば叶う、という言葉は怖いほど前向きです。あれだけ小夏に向けて絶望的な言葉を吐き続けた男が、死に対して希望、という時、そら恐ろしさを感じます。

 


[110] 世紀末のデカダンス 投稿者:Kitty 投稿日:2000/01/18(Tue) 12:43
 いま私の顔には、眉間に深い溝がはりついている。
 「蒲田行進曲」再演の観劇レポートは、川本さん・松本さんの会議室を読ませていただいても、草なぎファンの皆さんの掲示板への書き込みを読ませていただいても、巨大迷路に迷い込んだような思いを強く感じないではいられない。何故なら、私はまだ今年の「蒲田」をこの目で見ていないのだから。
 ヤスは、剛君のヤスは、どう変貌を遂げているのか、またその途上なのか。
 「加えるよりも削ぎ落としていく。どんどんシンプルにしていった方が、人間が見えてくるんだよ」との演出家の言葉は、今回の舞台にどう反映されているのか。
 私の眉間の溝がこれ以上深くなり、そのままシワになってしまわないように、東京公演を待つ多くの人のために、どうかたくさんの意見を聞かせてください。
 つかさんは千年紀の祝福より、世紀末のデカダンスを選んだのでしょうか。

 


[109] 表情 投稿者:びすこ 投稿日:2000/01/18(Tue) 07:57
>表情のことを書かれると、前の方で観るのがやっぱりいいのだなと思いました。
双眼鏡使ったほうがいいのかなあ…

>やすこさん。
わたしは双眼鏡つかわずに後ろの方からも観てます。前の方でも観てますが(^^;
でも後ろの方の席でも、一瞬表情が見えた気がしたかんじがしました。そのときの表情はコワイんでなく、

『なぜ泣くの?』

ってかんじでわたしはボロボロボロボロ泣くしかできませんでした。もうなんで泣くのかわからないんですけど、ヤスと小夏のののりあいからマコトまで涙がとまらなかったんです。遠いわ、自分で涙で見えなくしてるのに、その中からヤスの勇き顔とでもいうのか、ヤスが見えた、と思ってます。勝手な思い込みなんですけど。

それからヤスは大部屋なのかスターなのかと聞かれたら、その前兆でしょう。スターになる前兆のあるモノ。それはこの1年のクサナギの成長にあわせたらそうなってしまったんじゃないでしょうか?これまた勝手な憶測ですが・・

とりいそぎ、これだけは伝えたかったので…感想っぽくてスイマセン。

 


[108] 変化 投稿者:やすこ 投稿日:2000/01/18(Tue) 03:09
うーん。2度目の書き込みです。いつも勉強させて貰ってます。
初日、2日目の昼、3日目の夜を観ました。一番後ろか、その後ろの立見、つまりは後ろのほう。双眼鏡は使いません、世界が狭くなる気がして。だから、表情は殆ど見えません、ぼけて。
斬りつけてゆく表情が鬼か仏かなぞ判りません。
むしろ、ヤスの造形は(去年と比べるならば)変化は乏しい。
銀ちゃんは、確かに変わってました、がらりと。銀ちゃんを表立ってくさす大部屋、そんな彼等をマジ蹴りする銀ちゃん。効果音を入れてないので、余計に生々しいです。落ち目のスタアであることが強調されていて、ラストシーン、階段落ちにヤスに叫ぶところは去年より素直に感動できました。
小夏の変化は主に、小西さん自身の成長にあると思います。より深く小夏と同化していることが、一番後ろの席にいても伝わってきました。柔らかく、激しくたわむようなイメージが湧きました。
でもヤスは「?」でした。途中、本人の名前が出たことも起因してるかもしれません。オマエ、大部屋なのかスタアなのか、才能があるのかないのか、どっちなんだよと混乱しました。ビール瓶かマッシュルームなのかどっちなんだ(笑)。いや、失礼。
銀ちゃんが明瞭になった分、ヤスが更にどう捕らえていいか判らない存在になってる。前半、小夏の気を引こうと目茶苦茶な議論展開(ホモ、ラグビー部、法隆寺、竹槍)をするヤスは、去年何度観ても可笑しくて可愛くて場内に笑いが起きてました。今年は笑えません。なんでなんでしょう。

ネタバレ可ということで、かなり書きました。すいません。で、バカな文章ですいません。
表情のことを書かれると、前の方で観るのがやっぱりいいのだなと思いました。双眼鏡使ったほうがいいのかなあ…

 


[107] さらに進化し続ける芝居 投稿者:香代 投稿日:2000/01/17(Mon) 23:38
私もこの週末「蒲田行進曲」を観ました。昨年のものとはがらりと変わっていましたね。まだ混乱していてうまく言えないのですが、役者のセリフが、演技が、強い圧力を持っていて本当に客席を押すのです。ヤスの奏でるメロディーはもっともっと振幅が激しく凄まじいものとなり、それを受ける銀ちゃんは去年よりもワガママで残酷で、そして哀しいくらいに優しく美しかった。

川本さんの感想もWeb会議室で読ませていただきました。
後半のヤスと小夏の長い長いシーン。私は、ヤスは小夏をいたぶりながら答えを探してさがして探し続け、最後に自分自身で見つけて想いを解決したんだな、と感じました。身近な例で言うと、他の人に話しているうちに自分の考えがまとまる事がありますよね(あんまりにも身近過ぎな例ですか:笑)。その極限の形、みたいな。
そうか、「小夏が昇華させた」という捉え方もあるのですね。今年の小夏ならその力を持っているかもしれませんね。

そして、このシーンから階段落ちまで、ヤスは確かに震えが来るくらい恐かった。「妊婦の腹を蹴ってもイヤに見えない」というのは今年はあてはまらないようにさえ感じました。でも最後の最後のセリフ、「聞こえません?」と言う声のトーンはやっぱりピュアで、私には救いだったのでした。

まだ始まったばかりです。この舞台は去年と同様、今年もどんどん変化していくのでしょうね。どこまで化け続けるのか、恐ろしくもあり、楽しみでもあります。

 


[106] 笑う鬼。 投稿者:びすこ 投稿日:2000/01/17(Mon) 20:05
必死になって考えてたら頭がクラクラして休み休み書いてたら管理人さまから・・。当然のことながら答えはでてません。とゆーより永遠に答えは出ないと思いますが、いまかんじてることを書かせてもらいます。

今年の蒲田は言葉にならない舞台が一層言葉にできない舞台になってました。

『俺、だってなんでも飲み込んでるじゃない。』

まさしくすべてを飲み込んでます。
わたしが前回(1999年)かんじたことを覆されたかんじがしました。

Web会議室の方で川本さんが
>やはりクサナギツヨシは魔物です。
とおっしゃってましたが、わたしもバケモノと思いました。
否定できなくてごめんなさい(^^;

わたしや他の方がどんなに言葉をつくしても、そのすべてを奪い、飲み込んでしまうバケモノがいたとかんじたのです。ココでどんなにいわゆる“ネタバレ”をしても意味はないと。ヤツはその空間にあるなにもかもを飲み込み食べつくし、成長しつづけてるようにみえました。

前回の蒲田を観て、またほかのドラマ等から役者クサナギのことをいろんな言葉で表現してきたものをあざけるかのように、ヤスがバケて出てきたといえばいいのでしょうか。

いままで語ってきたのはウソでないけれど、それもう“過去”のことで、“いま”のクサナギでない気がします。

最終シーン、ヤスが銀ちゃんに向っていくために客席に背をむける瞬間、銀ちゃんを睨みつけた顔が<鬼>になってました。観てはいけないものを観てしまったようなショックで言葉が出ませんでした。前回はたしかココで笑っていたんです。はっきりいって恐怖としかいいようのない感覚に落ち入りました。

ヤスはその前のシーン(新しく加わったシーン)で笑ってるんです。

監督『・・ここんとこ撮っておいてもいいでしょうか』
ヤス『いいんじゃない?』
銀 『・・・なに?』

ここのところの表情・・・・“笑う”という表現であってるのかもわからないです、ホントのところ。あのバケモノは何を考えて観るモノをだまくらかしてるんでしょう?

 


[105] とまどったまま、書いてください 投稿者:川本千尋@管理人 投稿日:2000/01/17(Mon) 19:24
蒲田行進曲2000をご覧になった方。
どんな感想でもけっこうです。
そう、感想でけっこうです。
おもしろかったですか?つまらなかったですか?
とまどいましたか?
それは、クサナギツヨシがどんな風に見えたからですか?
他の役はどうでしたか?

一言でもけっこうです。書いてください。
わたし一人ではとてもとても考えられません。
恐らく、松本も同じ状態だと思います。
考えようとすると具合が悪くなるんです。本当に。

なでがたさん、わたしも見てきました。
直接の感想は松本とのウェブ交換会議室に書きましたが、
わからないことだらけです。
「真っ白け」という表現、たいへんよく分かります。
クサナギツヨシを考えるにあたって、自信のある人がいるでしょうか(笑)!
ご一緒に考えましょう。そのための場所です。

 


[104] 『白い』ヤス。 投稿者:なでがた 投稿日:2000/01/17(Mon) 10:04
初めてお邪魔します。
蒲田行進曲再演、行って参りました(17日昼の部)。
私は演技についてとんと無知ですので、的外れなことを申し上げるかもしれません。でもどうして知りたいことがあったので、書き込みしてしまいます(笑)。どうかご容赦の程を。

なんだかね、『白』かったんですよ。去年は感じなかったんですけど、ヤスが『真っ白け』なんです(肌の色の話じゃなくて(笑))。
でも『虚無』にしては絶望より希望に溢れ、『無垢』というには愛と憎悪に満ちている。死ぬ為ではなく『活きる』為に階段落ちに挑んでいく…。
この『白さ』の正体がヤスの『昇華』なんでしょうか?小夏をネチネチ嬲ってる辺りから感じ始めたので、そうかもしれないです。でも自分に自信ないしなぁ…(笑)。
どなたか、ちゃんと言葉にして私に教えてやって下さいませんか?

 


[103] 役者、つよし 投稿者:そよ風 投稿日:2000/01/16(Sun) 23:04
私は、剛君の性格を役所公司さんに似ていると思いました。私は
役所さんの演技がとても好きで、すいこまれていきそうな魅力と
迫力を感じてます。しかし彼はふだんはとても役者とは思えないほど
はにかみやで無口で、ほんとにそのへんにいるごく普通の人と同じ
感覚の持ち主・・・けれど数々の賞を受賞していて役者としての
才能とエネルギーを持ち合わせているのですね。なんか剛くんも
共通点があるようで・・・これからの活躍を期待したいです。

 


[102] 1月 16日 投稿者:shinba 投稿日:2000/01/16(Sun) 09:17
ここは、本当におもしろいですね。本を読んでいるような
気分です。
そして、自分の言葉の足りなさに、ため息をついてしまいます。
自分で書いて送信して、次の日、朝起きると、
「あれ、全然違うなあ、、、。」と、思い直しました。トホホ、、、。

同じ一つの物を見ても感じる事は様々です。「美しい花」は、
目の前にある花が美しいのか、美しいと感じているこころに
あるのでしょうか。(たしか、両方。)
「彼」を観て「彼の事を書いた」はずが、あれは自分のこころの
内だったのか、、、。(たぶん、そうでしょう。)
、、、、、、、 ただ、やはり、いろいろ考えさせられる存在です。
だから、本当の彼ではなく、私の感じた事(私自身の内察)として、
書かせて下さい。
と、いうところで、今日は力尽きてしまいました。

舞台、初日、おめでとう!!

 


[101] いよいよスタートですね 投稿者:内田勝利 投稿日:2000/01/15(Sat) 14:51
スターという切り口でクサナギツヨシを見ると、ますます謎な存在になってしまいますね。
これも今までの「クサナギ・ニュートラル説」が適用できるかもしれません。「スター」と「一般人」の間を、バランスを取りながら振幅しているという。普通の人には存在しないであろうそのスターと一般人の「幅」が、クサナギツヨシの役作りと繋がっているような気がします。

>phycoさん
>もう一つ、クサナギと古い役者の共通点に、その
>「異端性」を挙げたい。
>どうでしょうか??

「異端性」。ほんとその通りだと思います。日本の歴史では、芸事に通ずる人はある意味、「異端な人たち」であったというようなことをいう歴史小説家がいたことを思いだしてしまいました。隆慶一郎だったかな・・。

いよいよ、大阪蒲田公演がスタートですね。
ほんと楽しみです。

 


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