ひとつ戻る ひとつ進む
はじめまして。役者クサナギの研究ですか。真剣に演じている時の彼が特に好きな私にはとても嬉しいHPです。今後ともよろしくお願いします。
この数年、彼はかなりの数のドラマに出ていますが、いつも思うのは、あそこに居るのはクサナギツヨシではなくてそのお話の中のその人に見えるなぁってことでした。それを一番強く感じたのはやはり今年の「蒲田行進曲」のヤスです。あの舞台の上にいたのは確かにヤスでした。最後タキシードに着替えて出てくるとヤスはどこかに消えていてクサナギツヨシだったから、余計に強烈にそう感じたのかも知れません。
けれど、その「蒲田行進曲」を見た稲垣吾郎氏に言わせれば「あれはツヨシそのものだった」そうで、そう言えば「いいひと。」で共演した財前直美さんも「クサナギくんは優二そのまんまの人」と言ってたっけ。私から見ると役が変わるたびに別人に見えるけれど、彼本人を身近によく知る人から見ると、どの役も彼そのものに見えるの?
以前、「沙粧妙子〜帰還の挨拶〜」で初の悪役をやった時、「自分の中にも悪い部分はあるからそれを引き出した」と言っていたのを覚えています。また彼は、役をもらった時に自分との共通点を探す、というようなこともよく言います。
もしかすると彼は、自分の中に見つけ出した役との共通点を元に、感情の流れを無意識の内にその役に合せてコントロールできてしまう人なのかも。だから、彼の色々な面を見たことのある彼をよく知る人には彼そのものに見えるし、いつも離れたところから見ている私たちには別人に見える、ということなのでしょうか。
一つハッキリ言えることは、こうやって考えれば考えるほど、なんだか余計によくわからなくなって深みにハマって行くってことですかね(笑)
私は、剛君ほど
周りに何を言われても
【マイペース】で【諦めない】人間を見たことがありません。
そして剛君ほど
【妥協を許さず】【環境で変わる】人間もいないと思うのです。
学ぶ姿勢が続く限り、役者“剛”はどこまでも伸びると
信じています。がんばれ。
昨年の「蒲田行進曲」のチケットとれなくて・・・
でも念願の再演ということで今年はなんと無事に
チケット取れました。今から楽しみです。
わたしはSMAPのファンです。SMAPの中でクサナギくんが一番というわけでもありません。でもわたしの中ではクサナギくんは大事な存在です。わたしは役者を断念した人間です。最初はクサナギくんの中にかつての自分を見ていました。でも去年の「蒲田」でそれが全く変わったんです。衝撃的でした。クサナギツヨシにつかさんの「蒲田」が出来るんだろうか。そう思っていました。それが一瞬にして変わりました。彼の声、表情、台詞、すべてが心の残っています。これが役者なんだな、と思いました。自分の考えがとてつもなく甘かったことも思い知らされました。
再演見に行きます。自分に渇を入れるために。
まずはありがとうございます。
草なぎさんをSMAPとしてではなく、ドラマの演技を見て
惚れてしまった私としては、このページの存在が嬉しくてたま
りません。
演ずるって不思議ですね。うまいから惹かれるんじゃない。
達者だからひきこまれるんじゃない。
なぜ1時間のドラマのほんの数カットの出番の彼が、しかも
まだ決して「うまい」云々以前だったにも関らず、あんなに
印象的だったのか・・。
彼の持つあの説得力はなんなのか。
「技」も向上しつつ、それは今も色褪せない。その正体は
一体なんなのか。
その答えを今も探しています。
演技の「技」の字だけじゃ語れない何か、それが見たくて
今も草なぎさんを見つめつづけているのかもしれません。
私がうまく形にできない分、皆様のご意見にはとても感動
しております。
今後ともよろしく(他力本願です^^;;)。
1月の舞台でヤスに会える喜びを胸に。皆様に感謝をこめて。
松本さんの研究論文、"クサナギツヨシの役者としてのフィルター性"を読ませて頂いて、昨晩「ああそうだったのか」と気付いてぼうっとしたことがあった。
役者としての一番最近の仕事テレビドラマ「TEAM」。こちらをお読みの方は欠かさず観ておられる方が多数と思われるので詳しくは割愛させていただくが、クサナギ演じる「子供を天使と信じて疑わない」文部省からの派遣エリートが、現場から外される時に、「子供でも犯罪者は悪魔」と断定する叩き上げの刑事丹波に投げつける一言。
「(彼らを)信頼してあげて下さい。信頼に共鳴できるのは信頼だけなんです。」
雑誌などでクサナギくん本人は「僕はどちらかと言うと丹波さんの考え方に似ている。(子供でも)悪いものは悪い。」と至ってシンプルな発言をしているので、風見=クサナギという図式は成りたたない。成り立つわけがない。それなのに風見のその台詞に私の胸は貫かれて、翌日一日ぼけーとした「役立たず」にされてしまった。
信頼。私は、自分は回りの人間を信頼しているか。信頼してもらっているか。ヘタすると自分の尊厳に関わる重大な問題だ。
そしてある人から助言をもらった。
クサナギくんは、人を信頼して自分を委ねる勇気のある人間なんだ、ちょっと彼から勇気をもらおうよ、と。
そうだ。海千山千の芸能界、10年以上生き抜いてきている人としてはその姿勢は驚異的ですらあると思う。良い仲間スタッフに恵まれたというのはあるとしても。
クサナギくんは風見というフィルターを使って、その強さをメッセージにして視聴者に伝えてくれた。あの言葉はクサナギくんのものだ。そう思えたらまたなんか涙が出てきた。
そしてまんまとヤラれた単純な自分に、なんかちょいと希望が持てた気がする。
はじめまして。つかこうへい事務所様からメールを頂いてこの場所を知りました。やられた、と思いました。クサナギツヨシの良さはなかなか言葉にしづらいものがありますが、それをワカランだけでは済まさず解き明かしてゆこうという、気概が感じられました。
もう1年近く前になりますか、蒲田のヤスは、生々しく胸の中にあり、あの台詞を言ってたのはこんな顔だった、こんな声だった、今でも鮮明に蘇ります。それがチャンピオン腹巻き牛のシーンならほくそ笑み、俺が俺がと己の胸を掴んで絶叫するヤスのシーンなら涙が出てきます。いまでも、です。なので、再演の知らせは嬉しい反面、ああ、もうそんなに時が経っていたのか、という驚きも感じました。
川本さん、松本さんのクサナギ評、期待しています。頑張って下さい。
はじめまして。こういう場ができた事、とても嬉しいです。ありがとうございます。
平成版「蒲田行進曲」は私にとって明らかにそれまで見た芝居とは「違うもの」でした。私もやはりずっとその理由を考え続けているのですが、この頃他の舞台を見ていてふと思った事があります。
クサナギツヨシが舞台から放つ感情は他の誰よりも「生々しい」のではないか、と。それまで見た誰よりも「蒲田行進曲」のヤスの感情は真っ直ぐに入ってくるのです。まるで目の前にいる友人の喜びや怒りの様に。
舞台上で役者はある時は役になりきり、ある時は役を引き寄せてその人物の感情を見事に表現していきます。ですがクサナギツヨシは、ただヤスとして立っていました。ヤスになりきっているのではなく、ヤスを演じているのではなく、只ただヤスがそこに居ました。おそらく私達に伝わってきたのは目の前に居る人物の生の感情そのものだったのではないか。
クサナギツヨシは演技が上手いか?と聞かれたら私にはまだわかりません。でも表情一つで人の心を揺さ振る役者になりつつある、と確信しています。
まだまだ謎の存在なんですよ、クサナギツヨシ。
蒲田再演を前に、素敵なHPの作成、ありがとうございます。
私は「蒲田行進曲」は、昨年以前の舞台は、拝見しておりません。
ですから、映画とドラマでしか見ていませんでした。
その中で、私は、ヤスは、平田さんですら無く、柄本さんで昇華して
しまっていましたので、拝見するまで、草なぎさんが演じられる事に
かなりの違和感がありました。
ですが、大阪で一度見ることの出来る幸運に恵まれまして、
私の持っていたヤスどころか「蒲田行進曲」のイメージの違いに
まず驚きました。
基本的に、草なぎさんのファンだから、で、見に行きました為か、
その引掛りを持ったまま観劇してしまい、最後まで持ったままでした。
その一度きりでしたので、未だにそれを抱えたままです。
勿論、私の目にあったのは、草なぎさんでは、なく、かと言って、
私の持っていたヤスでもなかったのです。
それなのに、草なぎさんの台詞と共に、どんどん頭の中に入りこむ
映像の不思議さは、何とも言いようがありませんでした。
それを納得するものを見つけに、今度は観に行きたいと思います。
もしかしたら勘違いな事を長々と申し訳ありませんでした。
これから、こちらの皆様の御意見を拝見にまた、伺います。
こんにちは。
『クサナギツヨシ研究所』読みました。草g君の演技を
テレビでしか見たことなかったので、「蒲田〜」を観た時、
正直言ってやられたって感じでした。うまいっ!というよりも、
いいんだよ〜という風に、うまく口では言い表せない「何か」が
草g君の演技にはありました。その「何か」を『研究所』を読んで
つかめそうな気がします。できれば、もう一度「蒲田〜」を
観に行きたかった・・・。今回はちょっと無理そうです(涙)
成功を祈っています。。。
春の公演は大風邪をひきこみ、行くのを断念しました。
公演を見ていないので、ツヨシくんがどんなにすばらしかったかは
わからないのですが・・・。
友達に送ってもらったパンフレットの写真のツヨシくんの「目」を
見たとき、どきっとしたのを覚えています。
いつもの「目」じゃなくて・・・。
なんていうんだろう。
今回は名古屋公演2日目に行きます。
絶対、体調を崩さないようにします(笑)
かつてのつかファン(えっ、今は?今も)としては、「銀ちゃんがいく」
の舞台も見たいなあと思っています。
どうぞ、がんばってください。
つか事務所様からメールを頂き、お邪魔しました。
「クサナギツヨシ研究」読ませて頂きました。SMAPの草なぎ剛のファンという立場ではない人の、役者クサナギツヨシを客観的に見た文章というのは興味深かったです。
基本的に役作りをしない役者クサナギツヨシ。
「せりふを言っていると、自然に泣きたくなったり怒りたくなったり優しくしたくなったりする」
この言葉に彼の役者としての才能を見た気がしました。
そういえば、ドラマ「TEAM」の時も「心がひとつに重なるまで」って書いてあったっけ。
実は「蒲田」をまだ見てない私。1月に見に行きますが、周りから聞こえてくる絶賛の声や、ここでの研究レポートの内容に違わぬ演技を見せてくれることを期待してやみません。
はじめまして。面白いHPだなと思って早速見させて頂きました。「クサナギヤス」についてのいろんなコメントを見ているうちに、初演を見たときの感動が蘇ってきて、なんかウルウルしちゃいました。
もともと、映画の蒲田行進曲が結構印象に残っていたのと、SMAPファンであるということで、「つよぽんに会いたい」という軽い気持ちで初演を見たのですが、もう、さんざん揺さぶられて、なんとも説明しがたい感動を覚えました。それまでこういう演劇のよさはあまりわからなかったのですが(つか事務所のみなさんごめんなさい)、「これが舞台なのね!」という、なんか初めての発見があって、ただただ涙しました。
今、またあの感動が心の中に蘇ってきています。再演、もちろん行きます。楽しみにしています。
はじめまして。このようなページができとてもうれしくおもいます。
今年の「蒲田行進曲」大阪公演を見ました。
クサナギツヨシファンであったことがそもそものきっかけでしたが、あの舞台を見てからつかファンにもなりました。
もともと舞台なんていうものは縁遠いものだと思っていましたが、
「蒲田」をみてからは他の舞台なども見に行くようになりました。
今年の「蒲田」が、そしてクサナギツヨシのヤスが私を演劇の世界へ引き込んでくれたのです。
本当のところ、今までのドラマなどにおけるクサナギツヨシの演技は目をふさぎたくなるようなところもありました。
しかし、舞台でのクサナギツヨシは違う、いいえ、あの「蒲田」のヤスを演じてから彼は全く違うものになった気がします。
舞台上の彼からはすごく自然でとてつもないエネルギーが感じられました。クサナギツヨシは舞台が一番あってるんではないだろうか?
そんなことまで思ってしまいます。
先日、NHKで今年1年の演劇界を振り返るというような番組を深夜に放送していました。そこには評論家の方が3人いらっしゃって、
蜷川さんのあの舞台が良かっただの、野田さんはあそこがいいねといった感じでなかなかすごかったです。いろんな演出家の方の作品が紹介されていて、つかこうへいはまだか?と思っていたら「新・幕末純情伝」が紹介されていました。
やはりつかさんは素晴らしいと思っていたら、「蒲田」のこともお話されていました。そこでは役者クサナギツヨシでの話でもちきりだったのです。
「つかこうへいは、最近華やかになってきているがクサナギが演じたヤスはつか本来の持ち味を出していた」
「錦織に勝るとも劣らない、クサナギが全部もっていったなと言う感じ」
などなど大絶賛でした。評論家の方々にこんなにも評価されるなんて改めてやっぱりクサナギツヨシのヤスは最高だと思いました。
なんだか長々と書きこんでしまいましたが、このページをつかさんのページ同様楽しみにしています。
こんなHPを待ってました!
わたしは確かに「クサナギツヨシ」本人のファンなので、どんなに
「役者・クサナギツヨシ」について語っても、「すきなんだねえ」の
一言で受け取られてしまうことが多く、歯がゆい思いをしてきまし
た。
でも、このHPでは、クサナギツヨシの役者の部分にとことんふみ
こんでいけるのですね。
初めの頃は正直演技がうまいとは言い難く、「いいひと。」のヒッ
トも、演技うんぬんより本人のキャラクターが愛されたゆえと思って
います。でも、「成田離婚」では違いました。時にはオーバーすぎる
ほどの演技も見せるのに、彼が演じると「演技」ではなくなる気が
します。「役作りはしない」と本人はよく言っていますが、彼は
その役柄本人に同化しているといっていいほど、「自然」なんです。
だから、見ているこちらもひきこまれ「共感」してしまうのでは
ないでしょうか。
あー全然まとまらまくてごめんなさい。こんなに正面から「役者クサ
ナギツヨシ」について考えたことなかったからなぁ。
これからこのHPに参加しながら、改めて考えて見ようと思います。
よろしくお願いします。
役者・クサナギツヨシのページができたこと、心からうれしく思います。
私は今まで全く舞台に興味がなかったのですが、来年「蒲田」で舞台デビューです。とても好評だったようで、どうしても自分の目で確かめたくてうずうずしています。
私はクサナギ君の、どんなセリフを言っても「あれ?この人自分のことしゃべってんの?」と錯覚してしまうようなところがスキです。
セリフが何倍も重たくなって胸に響いてきます。今後も「役者・クサナギツヨシ」の更なる活躍を願って、このページもチェックさせていただきます。
「クサナギツヨシを考える」へようこそおいでくださいました。
今日電車に乗りましたら、「かまた・・・」という声が聞こえました。「えっ?」と思って見回してみたら、男性の2人組の方がお話をしてました。
2人のうちの1人が言っている声が聞こえました。「クサナギがいいんだよ、すごいんだよ、クサナギ。すごいんだ・・・」
嬉しくなって思わず、「ちょちょちょっとどこかでお茶でも飲みながら話しませんか?」と声をかけようかと思ったのですが、冷静に考えてみるとそれではただの「逆ナン」です。・・・・あきらめました。
わたしの中に、そしてきっと多くの方の心の中にある、「すごいんだよ、クサナギ」。多分それはそれぞれで、感じ方、見方が違うのだろうと思います。でもだからこそ、わたしの、川本さんの、みなさんの「すごいんだよ、クサナギ」を、つかまえてみたいと思っています。
これからも、たくさんのみなさんがここに訪れてくださいますように。
どうぞ、よろしくお願いします。
はじめまして、はっしーと申します。
クサナギツヨシを語る場所を与えてくださった皆さんに感謝します。
クサナギツヨシを評して「なごみ系」「癒し系」と言う方が多いと思います。
単純に、見た目だけで判断すればそういうことになるのかもしれません。いつからかは自分でもわかりませんが、彼は「それだけじゃないはず」と思い込み、蒲田を観て「ああやっぱり」と確信したのでした。
技術的なものはまだまだだと思います。
でも、私の中にはヤスの悲しみ、怒り、苦しみがこれでもかこれでもかという具合に叩き込まれ、それが今でも残っています。
1年たって、クサナギのヤスがどう変わったのか、楽しみでもあり、不安でもありますが、またあの心を抉られるような痛みと快感を味わいに行きたいと思います。
あー、本当はもっと色々書きたいことがあるはずなのに、上手く書き綴れない自分がもどかしいです(汗)よろしくお願いします。
クサナギツヨシ研究所・・・ずばり直球な名前に胸が震えました。
私が「俳優草なぎ剛」を気にし始めたのは「成田離婚」から。あの喧嘩シーンで見せる迫力と切なさに、彼の持つ独特な鋭さを感じました。それからその才能を再確認することになったのがおなじみ「TEAM」。それこそメジャーブランド名である「SMAPの草ナギ剛」から「俳優草ナギ剛」を見せつけられ、毎回風見&丹波コンビ・脚本&演出の良さに一喜一憂していました。
が、まだ私は「舞台人草なぎ剛」の姿を見ておりません。
再演は観に行くのですが、19日のNHK教育「'99演劇界をふりかえる」でも3人の演劇評論家が揃って「役者草ナギ」を絶賛。「錦織は少年隊の中では一番芝居ができるんですが、それが草なぎにある意味で食われている」と。もちろん大期待なのですが、それと同時に、取り返しのつかない何かを突きつけられるんだろうなと、どこか覚悟をしています。
はじめまして、ちっちゃいよ と申します。
草なぎ剛という人が、「蒲田行進曲」、つかこうへいという人と出会った事は宝であり、有り難い事と思っています。
失礼を承知で申し上げれば、如何に信じ、思いつづけたFanでも、此れほどとは思わなかったのではないでしょうか…?
思いの外早い再演では有りますが、今から楽しみです。
人間、誰しも矛盾をはらんだものでは有りますが、
“草なぎ剛”という存在の魅力のひとつに、“矛盾”が挙げられるのかも知れません。
それはおそらく計算され、演出された類いのモノでは無いのだろう、と思っています。
目に見えるものだけでなく、内面的なものに於いても、身体的にも…
(キツイ顔をした人が/柔らかい笑顔で、静かに/激しく、柔らかく良く動く体で/バランス悪く不可解な動きをしている…ゴメン!)
何故か美しくも、可愛くも、格好悪くもある。
絶妙のバランスでそこに居る。
そして彼は向き合っているのでしょう。
与えられた役、物事、自分自身…
これからどんな機会・役柄に出会い、どのような役者に成って行くのか、とても楽しみです。
計り知れない奴だ…(善くも悪くも…?)
まずは、「蒲田〜」再演!
つかさん、共演者の皆さんと共に、良い時を過ごして頂きたい。
そして、観た人に忘れられないひと時を与えて欲しいと、願っています。
長々と失礼致しました。(そして、分かりづらい…)
“掲示板”の方も楽しみにしています! では!
はじめまして。このようなページができたこと、私も大変嬉しく思います。どれだけ意見や感想が書き込めるかわからないけれど、できる限り参加していきたいです。
前回の「蒲田」、文字通り取り憑かれたように足を運んでいました。最初は“SMAPの剛くん”を観に行ったに過ぎませんでしたが、2回目からは確かに“ヤス”を観に行っていました。毎回毎回集中して観てしまって、帰り道には決まって頭痛がしました。「“剛ヤス”の何がそうさせるのだろう」と思いつつ、何度も文章にすることを試みましたが、結局何もできないまま再演を迎えてしまうことになりました。なので、こうして“あるモノの見かた”をきちんと提示されているのを読んで(演技論の中の“カウンセラー”のくだり、目からウロコでした)、改めて自分の中で前回の「蒲田」を消化しておかなかったこと、後悔しているところです。
再演の“剛ヤス”は前回とはまた違うんだろうなあ。それが楽しみでもあり、それに対峙する自分の行方が恐ろしくもあり・・・。
こんばんは。初めまして。
「研究所」ですか。ちょっと緊張しています。
クサナギくんのことを考えると。
少し前には、言葉がちょっとゆっくりな子供のようかな、と思っていました。
途中まではつっかえつっかえ。ドラマならNGとか台詞噛みとか。
だけどある日突然堰を切ったように言葉が口から溢れて来て。
今まで黙って聞いていて、でもしっかりインプットされていた「お母さんの言葉」のようなものが。
私はかなり後になってから彼に眼が行くようになったファンなので、昔のことはよく知りませんが、テレビドラマを見ていたある日突然彼の表情に、すとんと「落っこち」ました。穴ぼこだったかもしれません。でも蟻地獄(わー…)の入り口だったのかもしれません。
その「堰を切ったもの」を今年舞台の上で塊で見せつけられ、胃にずしんときました。それが何だったかは相変わらずまだ言葉にはできません。でも確実に自分自身を振り返らせてくれ、考えさせてくれました。なにか変わったかどうかはまだ判らないけど。
再演、とても楽しみにしています。
初めまして。
ようやくこのようなクサナギさんについて語り合える場が出てきたことを本当にうれしく思います。
私はもともと彼のファンなのでファンの欲目でみてしまったり、ファンだからこそ手放しで誉められなかったりするところがあったのですが「蒲田行進曲」は違いました。
ファンであることなんかどうでもよくなる程にすばらしかったのです。
あの舞台から1年が過ぎようとしている今でも断片的に思い出しては涙する自分がいるのです。
そしてドラマなどで彼を見ていると、あの公演前と後とではあきらかに何かが違うなと感じることがあります。ふと覗かせる表情だったり、アップになった時の目の色だったり、なにげない仕種だったりと、言葉にするのは難しいのですが。
彼の演技や表現を心から期待する者として、意見が交わせたらなと、正直に素直な気持ちで書き込むことができたらいいなと思っています。
演技者・クサナギツヨシとは・・・
正直なところ「よくわからない」。
でも、蒲田行進曲の「ヤス」は彼の感情の起伏とともに、
怒ったり、悲しくなったりと、普段あまり外に出さない自分の感情を手にぎゅっと握って見てました。
あの、わずかな公演時間の間に何度も手を握りました。
そうさせる何かが「クサナギツヨシ」にあるのか、「SMAPクサナギツヨシ」が好きだからなのかはわからないけれども、
過去爪が刺さるほど手を握ったことはありません。
なんかよくわからない文章になってしまってすみません。
ただ、本当に心の底から憎にくしく思ったり愛しく思えたりしました。
演技者としてのクサナギツヨシについて、思われるところを語ってください。
長文で書き込めないものは、運営者宛メールで送ってくださってもけっこうです。
やりとりの中から、意外な発見がたくさん出てくることを祈って。