「TEAMスペシャル 感想」
〜話は通じなくて当たり前なのだ、と〜

川本 千尋


 コミュニケーションを諦めたら、人間は人間でなくなる。
 
 つい先頃、20歳を越えたばかりの両親が、自分たちの娘を餓死させました。生まれたばかりの頃は「子供って可愛いよ」と友だちに言っていた母親は、衰えてゆく娘を放置して、父親と一緒に遊びにでかけていた、と報道されています。
 彼と彼女の心の中はわかりません。これからどこまで解き明かされるのかもわかりません。でも、こういう両親、こういう家庭はこれからもっと増えそうな気がして怖いのです。
 
 お腹の赤ちゃんは、両親のたくさんの夢を受けて生まれてきます。愛し合う男女の楽しい生活に、さらに楽しい夢を背負った天使が加わる、ような気がする。
 
 しかし、現実は厳しい。
 夜遊びは言わずもがな、出産前と同じ生活などできるわけがない。ようやく授乳期が終わって少しは出かけられるようになっても、自分の遊びに回せるお金は大幅減少。絶対の自信を持って買ってきた服を着せると鼻水やよだれだらけ。かわいい写真を撮ろうとしても笑わない。
 
 さらに決定的な誤算は、子供には話が通じない、ということです。
 
 一所懸命話しているのに聞いているのかいないのかわからない。お返事をしなさい、と言ってもしない。一度ダメと言ったことを何度でもする。かと思えば、静かにしなさい、と言っても言っても騒ぎ続ける。
 
 餓死した娘のあとから生まれた弟は姉に比べて利発で、両親はそちらばかり可愛がっていた、という報道もありました。
 
 子供には、なかなか話が通じなくて当たり前なのだ、コミュニケーションが難しくて当たり前なのだ、と、両親は思っていたでしょうか。
 
 そもそも、誰と誰でもコミュニケーションとは難しいものなのだ、ということを、知っていたでしょうか。遊び回る仲間として気の合う夫と妻。互いのコミュニケーションを難しいと思ったことはないかもしれないけれど、世の中には「傷つくのが怖いから人を好きになれない」人もたくさんいることを知っていたでしょうか。遊び仲間としてのコミュニケーションは完璧でも、父と母として子供についての語らいはなかったのでしょうか。
 
 2ヶ月近く前、私はWeb会議室に『らいおんハート』が嫌いです、と書きました。「子供が生まれたら二番目に好きだと言う、一番は君のママだと」という部分が嫌いだ、と。これからカップルとなり、子供を持つであろう若い人たちには、ムリヤリでも「子供が一番、子供が一番」と唱えてほしい、と思ったからです。
 
 あの文章を書いたとき、直後に始まるTEAMスペシャルを思い浮かべていました。
 
 多くの家庭は、ほとんどの家庭は、子供を心から可愛がっているでしょう。愛しく思っているでしょう。そんな家庭には誰が何番目、なんて順位はいりません。
 
 しかし、現実に「遊び仲間である妻・夫の方が、子供よりずっと好き」な家庭で、子供があまりにも悲しい死を遂げました。
 
 普通の家庭の人は、「そんな家庭はごく一部」と思うかもしれません。でも、がんばってコミュニケーションして人と繋がろうとしない、繋がる努力をしたことがない、したくてもできない人がどんどん増えているのも事実です。努力をしなくても繋がれる人と、努力をしないで繋がれる範囲のコミュニケーションしかしない人が増えているのです。
 
 とてもとても難しく忍耐を必要とする「子供とのコミュニケーション」を「面倒くさい」と拒否する人がもっともっと増えてもおかしくないのではないでしょうか。
 
 いきなり話が飛びますが、詐欺犯罪は減少傾向にあるそうです。保険金詐欺は別として「詐欺」と言えば、言葉を練りにねって人をだます、という印象があります。コミュニケーションを拒否する若い人たちは、そんな面倒くさい犯罪を働こうと思わないでしょう。ますます減ってゆくでしょう。
 
 お金がほしかったら、タクシーの運転手さんをいきなり殺してしまう若者もいるのです。
 
 TEAMスペシャルの登場人物は、レギュラーも、ゲストも、すべてがコミュニケーションに苦しんでいました。苦しんで苦しんで、自分だけでなく人を巻き込んで、人の命まで奪った人もいました。
 
 風見勇助という人を好きなのは、彼は、決して高見に立たないからです。頭でっかちだった若者が現場で強烈なショックを受け、しかしそれを否定せず、理解しよう、考えよう、進歩しようとしている。
 
 事件を起こす子は、特別な子ではない。
 
 本放送時にそんな言葉がありましたが、子供だけではありません。大人だって、突然大人になったのではない。
 
 「俺自身だから。俺も子どもだったことがある。」
 
 スペシャルの中で、風見くんが季織さんに語る言葉です。
 
 事件を起こす人が特別なのではない。あの犯人の立場に、自分が立っていたかもしれない。だから考えよう、どうしてあの人があの子があんな犯罪を犯してしまったのかを考えよう、考えて、二人目三人目四人目が出るのをみんなで止めよう、という意志を感じるドラマです。
 
 コミュニケーションを求め、拒否される。それが何より人を傷つけるのだと、TEAMを見るたびに思います。
 
 季織さんが言いました。
 
 「風見くんは、今の子どもたちに必要なのかもしれない。
  また行きたくなったらあたしを使って」
  
 何度でも、どんな形でも、繰り返し続けていってほしい作品です。季織さんを使って(笑)。
 
 TEAMのレギュラー達は全員、コミュニケーションが下手で苦しんでいます。だから、どんなに心通じても、丹波さんと風見くんは互いに「この野郎」と思うから、何度でもドラマが作れるはずです。

 クサナギツヨシは蒲田行進曲でも希望の象徴になったけれど、TEAMという作品で、子供に、若者に、子供と若者を取り巻く大人に、共に苦しみつつ希望の持ち方を具体的に示唆する人としての風見勇助を、ずっとずっと演じ続けてほしいです。
 できる人だと、疑いません。
 



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