「シンプルな村岡安次」

川本千尋

 

 

「あんた何て名前?」
「村岡安次。32歳。みずがめ座です」


 1982年、角川書店から出版された「蒲田行進曲」戯曲版のセリフである。銀ちゃんに連れられてヤスのアパートにやってきた小夏。銀ちゃんが去ったあとの二人はぎくしゃくと会話をはじめ、ヤスは小夏に、自分の人となりを説明する。初演台本にあるこのセリフは、1999年春バージョンではなくなっている。

 それだけではない。

 初演版の扉には登場人物として、

 ・小夏(映画撮影においては芸者梅香)
 ・銀四郎(銀ちゃん、同・土方歳三)
 ・若旦那(同・坂本龍馬)

 
 と並んで、

 ・村岡安次(通称ヤス)

 
 と明記されており、1994年から1997年にかけて上演された「蒲田行進曲完結編・銀ちゃんが逝く」の役名も「村岡安次」であるが、1999年版の台本では、

 ・ヤス

 
 のみ。村岡安次が、シンプルになっている。
 もう一度さかのぼる。初演版のヤスにまつわる記述である。

「俺、長男だし……」

「ずっと子供ん時から苦労ばっかりかけてきたし、親父も去年死んだし」

「(本棚の映画評論は)京都大学の学生さんから譲ってもらったんです」

「あ、表札買ってきます。村岡……小さな夏、ですよね」

「(前略)かいがいしく掃除したり料理なんか作ってやったりしたよ。ヤスさんは、本当に嬉しそうで残らず平らげてくれるんだけど、次の日にはしっかり新しいフライパンやナベなんかを買いこんできて、これで頑張って下さいと私の気を重くする。ヤスさんみたいな男は、銀ちゃんみたいに甘い言葉でささやかない分だけひとつひとつ冷蔵庫やオーブンなどの生活で押して来るんだ」


 初演における村岡安次という32歳でみずがめ座の大部屋は、高度成長期日本の農家の長男なのに小さい頃からまったく役に立たず、跡も継がずに映画俳優を志し、父親は昨年亡くなり、だからこそ“いい嫁=スター”を連れて帰って故郷に錦を飾りたいと思っている節もあり、映画についての知識が豊富でアントニーとクレオパトラに出てくる数万の奴隷役の役者名まで答えることができ、一度主演のチャンスをつかんだがそれをものにする事ができず、役者として売れる見込みはなく、激しいつわりに苦しむ小夏を献身的に看病する優しさにあふれながら、『生活で押してくる』と結局は煙たがられてしまう男なのだ。

 実に具体的である。
 
 くだって、1999年版台本はかなりの種類が存在するという。つかこうへいの芝居はすべてそうであるが、特にこの1999年版蒲田行進曲は変更が激しかったと聞く。稽古に入る前のもの、稽古中に変更が加わったもの、上演中にさらに変更されたもの。製本されていないものを含めたらいったい何バージョンあるのか誰にもわからないらしい。

 稽古中の台本には、ヤスの母親「タメゴロウ」と兄嫁「虎造」が登場する。
 
 初演版とパターンは違うが、このヤスもある意味具体的である。タメゴロウ、虎造、と常識では考えられない名前の母親と兄嫁を持つ。具体的にその人間離れしたキャラクターが舞台上で息子、義弟であるヤスと並ぶ。“こんな人間達が跋扈する異常な世界から映画俳優を志して出てきた男”と具体的なイメージを結ぶ。
 
 しかし、1999年春、大阪近鉄劇場で初日の幕が開いたとき、これらのシーンはすべて消えていた。
 
 田舎の父親は存命であり、母親、兄、兄嫁、兄の子供たちがいる。ごくごく普通の農家の家族である。唯一登場する名前は、兄の子供、マコト。ごく普通の、日本の男の子の名前である。真実の真か、誠意の誠か、台本上は明記されていない。純粋なものを感じさせる、しかし、すうっと耳を通る普通の名前である。
 
 「農家の長男だから」「子供の頃から苦労ばかりかけたから」「親父が去年死んだから」俺がシッカリしなきゃいけない、という具体的な理由づけも存在しない。

 村岡という姓が登場するのは三個所。小夏が銀ちゃんとの別れのシーンで 

「ねえ、銀ちゃん、見て。ご列席の皆様今日から私は、村岡小夏となります」

 それに続く銀ちゃんの殺陣のシーンで

「村岡小夏くん、ヤスくん」

 もう一個所は、ヤスが田舎の親族が赤ちゃんを楽しみにしている、と語るシーンの 

「ヤス、よくやった! 小夏さんはいい嫁だ。とにかく美人ってとこがいい。ブスは村岡家はダメ」


 いっそ唐突である。この3個所だけ、うっかり残してしまったのではないかと首を傾げたくなるほどだ。それだけ、1999年版のヤスは人物としての具体性を失い、個別性を持たず、匿名的で抽象的な存在なのである。

 その抽象性は、上演期間中にくわえられたヤスと小夏の次のセリフで決定的となる。
 

「マコト、なぜ泣くの。キミは翼持つ天使じゃないか。マコト、なぜ泣くの。君は勇(たけ)き光の戦士じゃないか。いつか僕は君と歩こう」
「人が生きることの意味を」
「人が生きることの意味を」
「人が愛することの意味を」
「人が愛することの意味を。いつも僕は考えているんだ」


 村岡安次、32歳、みずがめ座の男は決して甥に言うことのなかった言葉である。これは人間の言葉ではない。
 
 クサナギツヨシのヤスが堰を切ったように小夏にぶつける言葉は、確かに小夏の両親や弟という具体的個人への恨みつらみである。が、その抱える痛みは「田舎ものでありながら映画人として少なくとも銀ちゃんより知識では上であるというゆがんだプライドを持つ売れない役者村岡安次個人が元スターであり今は妻でありながら心が自分のもとにない、知識階級の娘で三十を過ぎた小夏の“家”にぶつける」具体的な痛みではなく、観客の誰もが共有できる痛みになった。

 初演版では、人吉のヤスの家から小夏の家にみかんを送ると、小夏の弟が送り返してくる。

 

 「その銀ちゃん好きの弟、何てったっけ、京都に来た時、俺が小遣いやったら『あんたにもらう義理はない』って突っ返して来た弟。何つったっけ。その弟だっておまえンチだろうが。わざわざ航空料金使って航空便で送り返してくるんだってな。いやだったらドブにでも何でも捨てりゃいいじゃねえか。何で送り返してくんの? 何で? 何で? 俺ん家がどんな気持ちになるか考えたことないの? 分からん。とにかく、ここん家のやることは分からないんだよね。俺ん家、調べたんですって。調べますか? そりゃあありますよ、どこの家でも一つや二つは。でも調べますか? 調べて欲しいのはこいつだよ。こいつのお腹ん中だよ。(後略)」

 

 1999年版は、家と家の問題ではなくなる。京都に来ると、姉の亭主のヤスではなく銀ちゃんと飲みに行く弟について、ヤスが怒る。

 

「この間、河原町ですれ違ったんだよ。『よお、信一郎さん』って声かけたら、『あんた誰。俺あんたのこと兄貴だなんて認めてませんから』これもあんたが言わせてるの。そりゃ銀ちゃんとは稼ぎも違うよ。華もねえよ。でも『お兄さん』って一言言ってくれたら、オラ、ガソリンかぶって火だるまになるスタントやって、小遣いくらい渡したよ。それを京都のど真ん中の河原町で『オラあんたを兄貴と思ったことはない』言われた俺の身にもなってみろ。オラ、そのまま凍りついて朝まで突っ立ってたよ、河原町に。俺がどんな悪いことしてそんなこと言われなきゃいけねえんだ(後略)」

 
 配偶者の弟に同じせりふを言われたことのある人は、世の中何人いるかわからない。しかし、同じ経験をしていなくても心の奥底にずしん、と響く。悔しい、悔しい。「どんな悪いことしてそんなこと言われなきゃいけねえんだ」。
 相前後して、侮蔑、暴力、揶揄、無視。およそ人の心を傷つけるパターンをこれでもかこれでもかと絞り出す。パターンではくくれない、大きな感情の揺れを観客は共有させられる。ゆさぶられる。ある人は、似たような経験を過去にしたからかもしれない。しかし、大多数の人はそれほどまでに同じ経験はしていないはずである。

 ならば。それはユングの言う“集合的無意識”へのゆさぶりではなかったか。

 ユングは心理学的分析による診療や研究の過程で、個人の経験や体験に由来しない人類共通の意識、太古の昔からたとえば遺伝子によって伝えられ、共有されてきた無意識の世界がある、と考えた。それがために、どの国にも民族にも共通の神話や伝承があり、勇者や悪者や賢者がいるのだ、と。それは民族の移動による伝播と思われていたものだが、どう考えても民族的交流のなかったはずの複数の地域に同じエピソードが存在する。ユングは、集合的無意識によってどの民族もが考えつき、焦がれ、畏れるものがあるからだと言う。異文化の神話や伝承に共通し、繰り返して登場する純粋なイメージを、元型と呼ぶ。
 
 つかこうへいは、30代に入ったばかりの年齢で、社会の縮図としての蒲田行進曲を書いた。社会の構造を人と人との具体的な構造をこれでもか、これでもかと研ぎ澄まして切り取って見せた。その切り口の鋭さに、観客は血を流した。
 50歳になったつかが、少年隊やSMAPに惹かれて劇場に足を運ぶであろう若い観客達に向けて描きたかったのは、かつての蒲田とは違い、すべての人の心に共通する「愛する力」ではなかったか。
 
 世紀末の1999年、つかは「ヤス」という人物からとことん具体性をはぎ取り、シンプルにシンプルにつきつめてゆくことで【愛する人】という元型を作り上げたのではないか。

 

 「作家が書けるのは4割で、あとは役者が書かせるものなんだ。でも今回は役者に7割書かされたね」(「月刊Feature」1999年4月号)

 

 1999年蒲田後の、つかのインタビューである。自作を語るとき、つかは必ずこの表現を使うが、今回の主演3人がつかの中からいかに多くの言葉や想いを引き出したかがわかる。

 そして、つかをして社会構造の一部であり個人のいじましいコンプレックスを山ほど抱え込んだ「村岡安次32歳、みずがめ座」という具体的個人を、【愛する人】という元型に収束させしめたのが、クサナギツヨシという役者である。

 

 

 

 参考資料「元型論」C.G.ユング(紀伊国屋書店)

 

戻る