「クサナギは天才か?」
phyco
演技術に関しては秀才であるが、芝居に関しては天才である。
技術的なものの不備が目立って理解されなかった才能が、努力による技術力の上昇と共にクローズアップされ、「急に上手くなった」と感じられるのではないか、と思います。
クサナギは努力と学習によって、その演技術を向上させた役者です。台詞回し、表情の作り方、カメラのアングルに対する配慮など、当初はあまりにも技術が未熟でした。今でも技術的には発展途上で、遅咲きの秀才タイプに感じられます。
しかしながら、「違和感のない存在として場に溶け込む」、「役そのものに見える」、「芝居の中での関係性を紡ぐ」ということに関しては、天才的だった。
芝居の空気感を担える稀有な役者だと言ってよいであろう。
わたしは天才を「独自の世界観を直感的に持てる人」と定義します。
役者でいうなら「虚構の世界の本質を直感的に感じ取り、体現する独自の方法を持った人」。
長島茂雄は「来た球を打つ」という、他人にまったく通用しない打法で大きな成果をあげた天才です。
そのセンスは天性のものでしょう。
クサナギツヨシも、余人には理解しがたい方法で、高い感情伝達能力を得ています。
「役にあったエンジンのかけ方をする」とクサナギ本人が語る方法は、おそらく集中力と意識をコントロールするということなのだと思います。
この様にあまりにも一般的な手法を模倣したとしても、クサナギと同様に空間を構築し、感情を伝達する事が可能になるとは思えません。
「エンジンをかける」ことで、余人に見えない何かを直感的に認識し、それを体現できる。
だからこそ、クサナギツヨシは芝居においては天才であると思います。