「メッセンジャー・クサナギツヨシ」

松本有紀

 

 

「そういやヤス、白い伝書バトが来てたぞ」
「白いハトがどんな便りを持ってきたんだろう」


 前回わたしは、「観客と、ヤスであるクサナギツヨシの関係」について語った。今回は「作家とクサナギツヨシ」の関係について、少し考えたいと思う。

 今、わたしの手元に、昭和57年(1982年)発行の「戯曲・蒲田行進曲」(角川書店)がある。そして、1999年上演分の「蒲田行進曲」の台本が何種類かある。
 まず最初に、「戯曲・蒲田行進曲」を読んでみた。1982年と今では時代も変わったのだろうし、それにつれて多少内容も変わっているのだろう、くらいの気持ちで読みはじめたのだが、一読してみて、1999年にわたしが観た「蒲田行進曲」との余りの違いに正直驚いた。(以下、1982年版を「昭和蒲田」1999年版を「平成蒲田」と表記)
 細かい点を比較していく時間もなにより技量もわたしにはないし、実際に上演された「昭和蒲田」を観ていないので、確実な比較はできるはずもないのだが、一読した感じから言って「昭和蒲田」のヤスには「平成蒲田」のヤスにくらべてもう少し、「暗さ」「いじましさ」のようなものが感じられる。基本的なストーリーはもちろん変わってはいないが、それぞれのヤスから受けるイメージはまったくの「別物」である。「平成蒲田」のヤスは、「昭和蒲田」のヤスにくらべてずっとさわやかで、そしてずっと、残酷だ。

 上演前の雑誌のインタビューで、つかこうへいは次のように語っている。「作家が書けるのは4割で、あとは役者が書かせるものなんだ。でも、今回は役者に7割書かされたね」
「(昭和蒲田との違いは)歳月で変わったのではなく、主演の3人で変えたよね。それぞ
れに合ったセリフは、役者が教えてくれる」(「月刊Feature」1999年4月号)
 平成版の蒲田行進曲では、台本が実に10回も書き換えられたという。小夏役の小西真奈美は同じ雑誌のインタビューで、「台本に日付と時間を入れておかないと分からなくなる」と語っていた。実際にその10回書き換えられたという台本のうちの何種類かを読んでみると、台本が移るにつれて、たくさんのシーンが変更になっていた。またセリフについては、ある役者のセリフが別の役者へスイッチされていく様子がよく分かった。そんな変更の中で、どんどんさわやかに、そしてどんどん残酷になっていく、クサナギツヨシのヤス。

 なぜつかは、クサナギに次々と、新しいセリフを与えていったのだろう。

 古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を著したホメーロスの物語の世界には、「文字」がほどんど登場しないという。「ホメーロスの世界では、不在の第三者に言葉を伝えようとする時には使者を立てる。使者はその第三者のもとにおもむき、直接伝えられた言葉を人称を変えるだけで正確に伝える」(「声 記号に取り残されたもの」 工藤進 白水社」

 わたしはこれを読んで推測する。使者には、二通りの能力を持ったものがいたのではないかと。それは、「伝えたい者の言葉を正確に伝えることができるもの」と、さらに「伝えたい者の言葉だけでなく、“意志”をも正確に伝えることができるもの」と。

 クサナギツヨシは、つかがその芝居を通して伝えたい言葉、ただ言葉そのものだけでなく、つかの「意志」を、その言葉に込めた「思い」を、演技の形にして次々と伝える天賦の能力があったのではないだろうか。だからこそ、つかは「俺、寝れねぇもん。朝の4時ごろ跳び起きて台本、書いてるもん。で、24時間態勢でファックスを送るわけ。それを書かせるよね、夢中にさせるよね」(前出「月刊Feature」)と言うほどに、台本を書き換え、クサナギに新しい言葉を与えていったのではないだろうか。

 クサナギツヨシは「蒲田行進曲」において、その演技を通して作家の「言葉」だけでなく、「意志」を伝えうる、優秀な「メッセンジャー」だったのではないだろうか。

 

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