「キャラクターのカウンセラーとしての役者」

〜ともに降り立つ心の地平〜

川本千尋

 

 

「(役作りは)あまり考えない。せりふを言っていると、自然に泣きたくなったり怒りたくなったり優しくしたくなったりするから」

 

 1999年春の蒲田行進曲。上演前のインタビューでクサナギツヨシが言った。
 結果として舞台に現れたヤスは、かわいらしく、しかしすさまじい狂気をはらみ、人間として最低の言動で暴れながら、最後はすがすがしいまでにすべての感情を昇華させ、微笑みすら浮かべて階段落ちに向かう。
 つかこうへいが最初に造形した人物とはまったく違う。
 そして、クサナギツヨシの演技は特に演じているように見えず、かといってそこに立っているのはクサナギではなく、紛れもなくヤスという、まっすぐでありながら、それがためにアンビバレンツやコンプレックスを抱え込まなければならなくなった気の毒な男であった。
 
 役者が役にアプローチする方法はさまざまである。

 事前に役の職業や環境をとことん研究して知識から入る。
 ひたすら役に同化する。
 反対に、役を自分に引き寄せる。
 自分の解釈を加えて、独自の人物像をつくる。
 
 クサナギツヨシのアプローチはそのどれとも言いがたい。
 ヤスのせりふをただ口にのぼらせる。それは、ヤスの言葉をひたすら聴いてやることに通じる。役者と役が分離しているわけではなく、境目がないほどに一体化したわけでもない。常にヤスに寄り添い、ともに在って、じっとヤスのせりふを聴いている。
 
 それは、カウンセラーのあり方である。
 
 心の暗闇が引き起こす事件が引きもなく続き、学校や会社、地域社会におけるカウンセラーが必要とされている。カウンセラーの仕事は相談員とは違い、ひたすら、目の前の人の話を聴くことである。しかし、聴くこと、それはむずかしい。
 
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『河合隼雄・カウンセリング入門』(創元社)より
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 「聴くこと」というのはどうしてそんなにむずかしいんでしょう。それは、本気で聴いたら悩みがこっちへ移るからです。
(中略)
 向こうが「死のうかと思う」と言って、「そうですか、本当に死ぬような気持ちですね」と聴いていたら、こっちもだんだん辛くなってきますね。そこまで僕らが降りていって聴くということはなかなかできませんから、いい加減なところで、「そやけどまあ頑張ろう」とか何とか言って、パッと切り離しに持っていく。つまり、向こうが降りていくのについて行けないから、どこかで話を切ってしまうということです。
(中略)
 ところが、そこで幕切れにせずに、向こうの降りる限りこちらもとことん降りて行こう、こういうのがカウンセリングです。降りて降りて降りても、人間と言うのは立ち上がってくる、そういう確信を拠り所としている。

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 クサナギツヨシは、つかのせりふを口にすることで、とことんヤスとともに降りて降りて降りていった。稽古段階でまったく恐れることなく、どんどん降りてゆくクサナギツヨシの芝居とぶつかって、当初の台本にはなかったせりふが、つかの口立てによって増えていった。
 まだ大丈夫か、ここまで行けるか、これを言わせたらさすがに降りては行けないのではないか。

 

「なんだ、逆子って。どんなケツの振り方したら子供の首にへその緒が巻きつくんだ」

 

「おまえは、女のくせに満足に子供も産めないのかよ。パカヤロウ」

 

 

 つかが投げたせりふを、クサナギはなんのためらいもなく口にして、またヤスの心の奥へ一歩深く降りていった。

 「妊婦の腹を蹴って嫌な人間にならないのは彼だけでしょう」
 
 と、つかはクサナギを評した。彼はどこまでもヤスとともに降りて、しかし決して共鳴して壊れず、恐怖にもつぶされなかった。

 そして、今まで誰もたどりつかなかったヤスの心の最下層に、クサナギとヤスは降り立った。

「つか(こうへい)さんは、僕が持っている潜在的な気持ち、優しい気持ちだったり、人を憎む気持ちだったり、そういうものを引き出すのがすごくうまい人で、"自分の中にこういう感情があったんだ"っていう新たな発見があった」
(TV LIFE首都圏版1999.12.18-2000.1.7)

 

 冒頭で『つかこうへいが最初に造形した人物とはまったく違う』と書いたが、そうではなく、作家・つかこうへいが造形した人物に、演出家・つかこうへいの誘導を受けてカウンセリングというアプローチをした役者・クサナギツヨシが、ヤスの心の底に埋まっていた気持ちを全部引き出したのではないか。

 

 クサナギツヨシは、まれに見る優秀なカウンセラーの素質を持った役者である。
 
 
 河合隼雄は、カウンセリングについて、こう言う。
 
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 聴いているうちに向こうが立ち上がってくる。そうして向こうの立ち上がってくるのにこちらも従う。そういうやり方です。 

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 ヤスはまさに、クサナギツヨシに聴いてもらって自分で立ちあがり、微笑んで銀ちゃんの待つスタジオに向かえたのである。 

 

 

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