『スタアの恋』第八話
〜魔法を解くには時間がかかる〜

川本 千尋



 はい、わかりました。
 やっぱり時間がないんですねえ……。
   この期に及んで、ヒカル子と草介が並ぶシーンが夢と最後だけ。話の作りようもありませんね。
 まして、時間がない。時間がない。時間がない。寝る時間も練る時間もない。

 わたしにはこの物語がこんなふうになっていくのが、脚本家と演出家だけのせい、とは思えないのです。

 本当に妄想です。なんの根拠もありません。
 「どこが?!」という反論がたくさんあることは承知で書きます。

 もしわたしが脚本家、もしくはプロデューサーで、藤原紀香とクサナギツヨシをキャスティングして「スタアと一般人の恋」を描こうと思って、そうしたら、もちろんわたしには物語を作る力なんかないけれど、もっともっともっと「こんなふたり」をいっぱい描こうとするでしょう。ふたりがこんな話をする、ふたりがこんなケンカをする、ふたりがこんな事件と出会う。いっぱいいっぱい描きたくなるでしょう。すれ違うにしても、もっともっと二人の接点を描きつつ、すれ違ってもらうでしょう。

 わたしの方が偉い! と言いたいのではありません。そんなことは、プロの脚本家、演出家、プロデューサーは百も承知でしょう。承知の上で、できないこともあるのではないか、と想像するのです。

 藤原紀香とクサナギツヨシ。どっちもめちゃくちゃ忙しい人です。
 ドラマ以外のお仕事で。
 ふたりのスケジュールを合わせるのは大変だろうなあ。
 そう思うのです。

 どんなに素敵な「ふたり」のシーンを書いたって、進行スケジュールが合わなかったら書き直しだろうなあ。たとえば一話のように、ほとんどのシーンにヒカル子と草介が映っている、終盤にさしかかってそんな本を書いたってスケジュール的に撮れるわけないだろうなあ。そもそも、そんな素人みたいな本は書かないだろうなあ。プロだから、いまどきのテレビのプロだから、ましてやイマドキの脚本は一人で書くのではなく、演出家やプロデューサーや広告代理店と一緒に作るんだろうから、別途最初から綿密なスケジュールをびっしりエクセルに書きこんで整理している進行責任者がいて「この日のこの時間に藤原さん、この日のこのロケにクサナギくんが参加可能です」「この日にこのシーンとこのシーンをまとめて撮ります」「サンマルコはこの時間に確保しています」って言われて、それをパズルのように当てはめながら整理しながら書くんじゃないかなあ。

 ジグソーパズルのように。ピースがばらぱらに揃っていって、結局一つの絵にならないこともあるんだろうなあ。

 そもそもこのドラマの一番の「弱み」は、「スタアと一般人たち」の物語でありながら、一人も一般人がいないことであります。スタアがスタアに見えるように、という努力以上に、芸能人が一般人に見えるための努力、その方がいっそ大変であります。
 そんな中、一般人側主役であるクサナギツヨシはもちろんですが、ある程度本筋への絡みを予定されている長谷川京子、古田新太は、まだキャラクターを書きこんでもらっているからストーリーがきっちり作られていれば一般人の息使いもきこえる。

 あくまでわたしから見て、ですが、一回目からずーーーーっと、最も一般人に見えない一般人が勝村政信と筧利夫です。だってこの人たち達者な役者じゃん、と、ついつい思ってしまう。小金井・次屋というキャラクターに背景がないからじゃないかしら、だから勝村・筧という達者な役者さんそのままにしか見えないんじゃないかしら、そもそもそれは、スケジュール的に主役のシーンをなかなか作れないから、確実に作れるシーンとして確保されてるんじゃないかしら、と思ってしまうのです。さらに、6話の感想でも書きましたが、主役・本筋と切り離したシーンだから、彼らにあまりにも頼りすぎているんじゃないかしら、「ここよろしく」が多すぎるんじゃないかしら、その場がよければ勢いでオーケーなんじゃないかしら、で、おまかせになったシーンに映っているのは、どうしても「小金井明と次屋吉太郎」ではなく、「勝村政信と筧利夫」にしか見えないことが多いんじゃないかしら。だからだから、今日のようにカッチリと「次屋吉太郎と妻と子供達」を描かれてしまうと、突然筧利夫が消えて次屋になってしまう。でも今まで次屋がちゃんと描かれてないから、突然すぎる感は否めません。いきなり4話で離婚した妻だの娘だのとの中途半端にリアルな話を描かれた「小金井明」も、生きている人間に見えなかったんです、わたしには。

 最初の頃はそれほど気にしていなかったのですが、勝村政信・筧利夫と古田新太の芝居に温度差を感じだしてから「あれ?」と思いました。アドリブ満載のシーンは勝村政信と筧利夫がイキイキしていて、古田新太はきちんと作りこまれたシーンの方がいいように思えてならないのです。なぜなら、牛山護にはちゃんと本筋にからむ背景があるから。
 というか、六話、金田中監督と牛山のシーン、もっともっときちんと作ってほしかった。作れたと思うんですよね、もっと。全体が押せ押せでなかったら。

 日本のドラマってどうなっていくんだろう。厳しいスケジュールの中で睡眠時間もままならずに頑張る役者さんもスタッフの皆さんも、たまらなく愛しいです。でも、ずーっとこのままでいくんでしょうか、ドラマ。ドラマ以外に忙しい仕事を持つ役者さんが主演するお芝居は、システムとパズルでなんとかしていくんでしょうか。

 TEAMの時も時間がなかったと聞きます。しかしあのドラマは、最初にキャスティングがあり、制作者と作家にその二人で描きたいテーマがあり、ドラマにしては濃すぎるほどの主張に貫かれていました。だから最後まで緊張感とレベルが持ったのかなあ、と考えたりする、11月最後の日。

 残り3話。

 堂々巡りという魔法にかかってしまったヒカル子と草介。魔法を解くには時間がかかります。
 せめて魔法を解くための時間を、どうぞふたりに。


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