「フードファイト最終回 感想」
〜100パーセントの牽引力〜

川本 千尋



 顔に糸目を付けない男、クサナギツヨシ。
 
 なんでここまで崩して平気かな、ってほど、とんでもない表情を平気で見せてきたクサナギツヨシが、最終回は徹頭徹尾、かっこよかったなー。ラストファイトの表情なんか、絶品でございました。
 
 それはさておき。
 
 毎回毎回、「なんでこんなに説明ゼリフが多いんだ!」「まともな日本語使ってくれ!」と書き続けてきましたが、ああいうセリフを使っていた理由がわかりました。
 
 最終回当日、日本テレビで「まだ間に合う!」的な直前スペシャルを放送したのですが、それが実によくできていました。各話のダイジェスト、説明ゼリフの部分を抜き出していくと、まことに内容がよくわかるのですよ。そうかー、ダイジェストを作るためのあのセリフだったのか! 深い!
 
 それもさておき。
  
 やっちゃったな、野島伸司。最終回を見終わっての感想です。
 
 やっちゃったな。
 期待していたんだ。どんなに一話一話がムチャクチャでも、中盤までなんか特に目も当てられないような話の展開でも、野島伸司なら最後は無理矢理着地するだろうと。整合性という意味での着地ではなくとも、「これが言いたかったのか」と思わせる着地をするだろうと。
 
 大転倒して5.0、ってとこでしょうか。ラストファイトの相手・佐野史郎とチャンプ・クサナギツヨシを初めとする出演者の演技に支えられてなんとか完走できたけれど、メダルにはほど遠い着地でありました。
 
 いらなかったじゃん、10話。10話自体の最後は実に余韻のある終わり方でした。しかし、10話があるから、11話が成り立たない。
 
 結局、10話で満が麻奈美と別れた理由は「最期を覚悟したから」なんでしょうか? それとも「勝負に生きる(死ぬ)決意をしたから」なんでしょうか?
 
 9話ラストのレントゲンが偽物で実は潰瘍が治っていなかった、という伏線(おお、この言葉をこのドラマで使う日が来るとは!)だったのはやっぱりね、なんですけど、満はなぜにそこまでする? 体が悪いと試合に出られないから? 10話、11話の試合前にはチェックはないのか? 如月医師の看護婦を丸め込んで味方につけたのか(笑)?
 
 ここまでするということは、満はフードファイトは続けたいんですよね? 続けたら体が悪くなるのは承知の上で? なのに麻奈美との将来もフードファイターとしての道も両立させようとしていたの?

 しかし、自分の病気が相当悪いことを知っていて、それを隠して好きな女を守るも心を開くも結婚もないでしょう? ちゃんと話すべきでしょう? 最期が近いから「麻奈美に看取ってほしかっただけ」なんてことはないですよね? しかもそれを隠している。子供を作ろうかと思うほどの間柄の人に一番隠したらいけないことでしょう?
 
 これほど信頼という絆のない男女が、どうしてテレパシーで通じ合えるんだ(笑)!!!!
 
 仮に。
 9話のラスト、レントゲンは偽物だが麻奈美の愛のお陰で実際に快方に向かっていた。麻奈美とつきあっていれば病気も治ってゆくから10話は元気だったし未来もバラ色に輝いていた。しかし、愛を失えば、病気は悪化する。それがわかっていながら、10話で麻奈美との愛と未来を捨て、伝説になって死ぬことを選んだ……のであれば、やっぱり9話ラストの偽レントゲンが余計だ。愛の力で治りかけた。しかし、愛を失って健康も失ってゆく。それなら納得いくのに。偽レントゲンなんて姑息なことを満にさせるからすべてがおかしくなった。如月医師は「あんな潰瘍が治るわけはない」と言い切ってしまうし……。
 
 あああーーー。
 
 なんとかかんとか、満と麻奈美が運命のベストパートナー同士だと思わせてきたのも所詮ごまかし。伏線なんかどうでもいい、という傲慢なドラマ作りはパワーがあっておもしろいことはおもしろいけれど、最も肝心の「愛」までないがしろにしてきたツケがたまりにたまって、最終回で破綻。
 
 主人公の人格まで破綻させてどうすんだ、連続ドラマ(怒)。
 
 あんなにステキだった冴香も8話からおかしくなってきていましたが、とうとう最終回ではわけのわからない女になってしまいました。あんなに繊細に、扉一枚へだてて満と心を通わせていたのに。互いの傷や求めるぬくもりや、不安や恨み。決して結ばれることがないのはわかっていても、互いの心が語るものをあんなに感じあえた満と冴香なのに。10話で「父に自分のために戦ったという免罪符を与えたくないからあなたが勝って」と抱きつくのも不自然でしたが、11話で「あなたが負けたら私は無一文で放り出されるのよ」と平気で言い切る冴香も、7話までの彼女とは全然違う。だいたい、8話で会長の歪んだ愛をしっかりと感じたんじゃなかったのか、冴香。たとえ認めたくなくても、7話まで、不器用ながらも繊細に満と心通わせていたスピリットを持つ冴香だったら、最終話の会長の真意を疑うぐらいのことはするでしょうに。ただのバカだ、あれでは。
 
 本当にこのドラマは、役者さんがみんなよかった。よかっただけに、回ごとに脚本の中でぶったぎられてゆく人格をそのたびに一から丁寧に描かれて、見ている方も切ないけど演じている方はもっと切なかったんじゃないかなあ。
 
 道化師のソネットを使いたかった。そのためだけに作ったと言ってもいい、10話。その10話のせいで大事な大事な最後を思いっきり不自然にしてしまった。
 
 最終回。
 
 最後の対戦者はもちろんタイガーマスクと同じく敵のボス・宮園会長。数十万人に一人という、日本人に数百人はいるらしい胃袋が二つある男。実はそのひとつは末期の胃ガン。ぶっちぎりで演じきってしまう佐野史郎の迫力の前には、こんな設定に文句を言う気もなくすべて納得(笑)! 胃に爆弾を抱えた男二人が誇りと見栄のために塩むすびを食べ続けるシーンはステキでした。
 
 しかし、結局宮園会長がフードファイトを主催した本当の理由はわからなかった。愛を知らない妻に金だけがすべてではないことを教えたくて米は日本人の主食。なんだそれは。いや、わからなくてもいい。なんだかわからないけどパワーで押し切られたかった。しかし、脚本にそのパワーはなかった。しかも般若心経を唱えてお遍路さんルックなのにお墓はキリスト教。
 放送後、佐野史郎オフィシャルホームページのご当人の説明でいろいろなことが明らかになりました。
 
 ・般若心経とお遍路ルックは佐野氏のアイディアだが、キリスト教式墓地のシーンは
  それ以前に既に撮影済みだった。
  
 ・会長室で満に幼い頃の母親への恨み、それを妻にすり替えて暮らしてきたことを語る、
  というシーンがあったが、カットになった。
  
 なるほどー、そうだったのか! そのままでは「不敵に笑う」芝居ができる脚本ではない、と判断し、お遍路さんと般若心経を持ち込んだ佐野氏のアイディアは素晴らしい。しかし、墓地のシーンを先に収録したからお遍路さんとの整合性がとれなかった、って、誰もそれまでにどんなシーンを撮影したのか管理してないのか? まあ、そんな「細かい」ことはフードファイトなんだからいいや、気にしないでいこう、ということでしょうね。キリスト教で初七日なのは狙ったギャグですよね? 初回に出てきた「お前じゃ役不足なんだ」ってのと同じ、わかっててやってる狙いですよね?
 
 しかし、宮園が母親を語るシーンがなくなったのはおかしい。愛を知らない妻に金がすべてでないことをねじくれた愛情で伝えようとする、自分こそ拝金主義の男に育ってしまったのはなぜなのか、どんなに無理矢理な理屈でも知りたかった。あ。きっと例の、まともな日本語になっていない説明ゼリフだったのでカットしたのかもしれませんね(笑)。こんな肝心な部分がね。
 
 野島伸司。エンタテイメントでありながら飽食の時代への警鐘ともなるドラマを作るんじゃなかったのか。なのに、肝となる最終3話は食べることなんかどうでもいいドラマになってしまった。筧利夫、さだまさし、佐野史郎というとてつもなく濃い役者を対戦者に持ってきたのに目がくらんで一瞬ごまかされるけれど、もはや「食べること」はどうでもよくなっている。テーマは男の美学。食べる対戦である必要なんかない。腕相撲でも将棋でもじゃんけんでもいいじゃないか。心の飢えを満たしたくて、穴の空いた心が決して満ちることがないから、いくら食べても満ち足りない。満、という名前の、満ち足りない男の孤独を描くんじゃなかったのか。ただの薄っぺらい男の美学か。愛がテーマ、とクサナギツヨシは言ったけれど、確かに満は愛を怖れ、愛を求め、愛に苦しみ、愛に泣いたけれど、でも、このストーリーは、「食べること」と「愛」の絶対的な関係という、このドラマが描くべきであった帰結にいたることができなかった。
 
 おかあさーん、と泣きながら妻の握ったおむすびを食べる会長は幸せで、ついに一度も、彼だけのために作られた料理を食べることのなかった満は不幸なのか。麻奈美が満の男の美学を理解してテレパシーを送ってくれたことは、おにぎりを握ってもらうことより幸せなのか。なんなんだテーマは。
 
 佐野史郎が食へのこだわりをなんとか入れ込もうと頑張ってくれたことが、唯一の救い。唯一の希望。結果としてそれもカットになってしまったけれど、ラスト一話しか活躍場のなかった佐野史郎が、そこまで入れ込んでくれたドラマ。やはり、野島企画には何か人を動かすものがあったはずなのです。それなのに。
  
 そして、クサナギツヨシ。
 
 フードファイト中の満、苦しいんだな、悔しいんだな、と、全身から伝わってきた。

   惜しいことに話自体が着地していないので、そこにのめりこんで泣く、というわけにはいきませんでしたが。

   SMAP×SMAPのトークで「本番前のカメラリハーサルのさらに前のドライリハーサルで、どのくらいの力を出す?」という質問を受けて、クサナギツヨシが間髪を入れずに答えたのは、
 
 「僕、100パーセント」。
 
 泣く芝居も、ドライリハーサルから100パーセント。
 
 『先生知らないの?』で初めてTBSのドラマに主演して、TBSのドラマはカッチリしたリハーサルが多い、リハーサルで本番と同じようにやるのは苦手、本番の現場の空気で作ってゆく習慣がついているから、という主旨のことを語っていた、あれから2年。
 
 間に初演、再演の『蒲田行進曲』をはさんだことがどれだけ彼を変えたのか、つくづくわかります。
 
 ドライリハーサルで100パーセント出すのが、すべての演技者にとって完全な正解とは限りません。緻密に計算して作り上げる芝居は、力を出し切らずに組み立てるものもあるのかもしれません。しかし、『フードファイト』においては「僕、100パーセント」がどんなに大切なことであったか、容易に想像できます。
 
 人を引っ張る力のない脚本で主役がリハーサルを軽く流したら、他の出演者の志気なんか上がるわけがない。百戦錬磨の共演者の皆さんだからこそ、流しつつも手堅くまとめるのはカンタンなはず。実際、これだけドラマの数が多く、出演作品も多い中堅、ベテランになると「手中のテクニックでまとめ」ても当然。全体も手堅くまとまったドラマになれば合格点。
 
 でも、このドラマで共演者にそれをやられたら、おしまい。主役が、脚本に書かれていないキャラクターの心を想像し、想像し、がむしゃらに100パーセント。やりぬいてくれてよかった、と心から思います。
 
 ようやく終わったフードファイト。小学生の子供を持つ人に聞くと、給食の時間に盛り上がっている、という学校がかなり多いようです。元からの狙いである子供とその親をうまくゲットできたので、スペシャルがありうるかもしれない。続編もあるかもしれない。満、生きてるらしいから(笑)。もっとも、殺したとしても「生き別れの双子の弟」かなんかでケロッとスペシャルやるよ野島なら、と折り返しもまだの時期に言ったMちゃん、今あなたの言葉に大きくうなづきます。
 
 スペシャルも続編もあってもいい。いいけどその時はきちんと話を作り、「好きで別れたわけじゃない。大人には好きでも別れなきゃならないことがあるんだ」なんて、耳障りな日本語を使わない脚本でお願いします。
 
 そして、今度こそ、「食」と「愛」をきちんと描いてください。
 
 誰かのために作った食事。誰かを思っていただく食事。作ってくれる人の顔が見える学校ごとの給食が給食センターという名の工場生産に移行し、家庭で母が子に、父が母に、姉が弟に、孫が祖母に、恋する人が恋する人に、誰かが誰かのために何かを作って食べて欲しい、誰かが自分のために作ってくれたものを食べたい、という気持ちがどこかに消えてゆく。誰かと一緒に住んでいても、外で買ってきた食べ物を一人で食べる。
 
 それを単に嘆くのか、わたしのような凡人が想像もつかない斬り方をしてくれるのか、この企画を考えた野島伸司にはきちんと責任とっていただきませんと。
 
 とかなんとか、実はそれが罠で「責任とるまで」の口実で、ズルズル視聴率稼ぎのネタをからめつつ、延々と商売されるのかなあ(笑)。それでもおもしろけりゃいいんですよ、おもしろけりゃ。たとえタイガーマスクとライオンハートと、最後はあしたのジョーのパクリでも、「ちゃんと脚本から」おもしろけりゃ。
 
 お疲れさまでした、出演者、スタッフの皆さん。それは本当に、心から。
 そして、視聴者が言うことではありませんが、共演者、スタッフの皆さん、クサナギツヨシをこんなにももり立ててくださって、本当にありがとうございました。
 
 “○之膳”と題されていた11話を全部いただいた食後の感想は、
 
 「食べ物じゃないだろ、これ?!」
 
 
  


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