「フードファイト第十回 感想」
〜「悲しみ」の表現者〜

松本 有紀


川本さん川本さん、のっけから話しかけてすみませんが、川本さん、第7回感想で「(満は)誰のためにたたかうのか」って書いてたじゃないですか。今回、答えでてましたぜ。

「自分のため。勝負の世界から離れられないから」

今回の椅子転げ落ちポイントはここだったざんす。
そそそうだったの?!いつの間にかそんなことになってたの?いいいいいいったいいつの間に。
それじゃぁなんですか、今までのフードファイトって、結構途中で満が試合放棄しかける回が多かったのは、あれはべつに施設への金がほしくて戦ってたからじゃなくて、自分のためだったからなんですね?あああ、そこは納得しとこう。新解釈ってことで。最初にテレビ誌で教えられた設定はいいかげんだったのね、ってことで。あ、戦ってるうちにいつのまにかそうなったんですよね。でもじゃあさぁ、園長と門倉さんの思いのために雪子と戦ったあのカキ氷は?裕太にむかって、「明日へのあさってへの希望を信じて生きている人間の方が幸せだ、みんなで手をつないで大和魂」とかなんとか言ってたのは?麻奈美に好きだと言われて、「もう死んでもいい、ってきもちです」って急にがんばって戦った、前回はぁぁぁああ?????・・・・全部自分のために、自分だけのために、ただ勝負がしたいから戦ってたの?

なんじゃそりゃ。

今回は、その「勝負の世界から離れられない。そして勝利の女神は嫉妬深いから、今幸せでいることと、勝負の世界に生きることは両立しない。女か、伝説か」っていうのが話のキーになってるんですよね。いきなり、「満は勝負の世界から離れられない」っていうのが突然厳然たる事実で真実になっちゃってんですよね。特にこれといった、裏付けのエピソードなしに。

「フードファイトはカンだの運だの関係ない」って満自身が言ってるわけだけど、実際ファイトになると満は食えなくなる。

満が食えないのは、破れたポケットの底を縫ってくれる人が現れて、心の飢餓感がおさまちゃったからなんでしょ?心理的なことが作用しているのは確かだけど、食えなくなった、っていうのは機能的な問題なんでしょ?だからほんとにカンだの運だの関係ないんじゃないの?(笑)。それをさぁ、「なんで食えないんだ・・・これが勝利の女神の嫉妬?」って違うだろーーー。勝利の女神はカンと運を与える。与える相手は選ぶのかもしれないけど、でもそれは、幸せな人をなんでもかんでも陥れる、ってこととは違うでしょー?

なにとなにがなのかもわかんないんだけど・・・うーん、「運命」と「運」かなぁ?なんかすごい大切なとこがごっちゃになっちゃってませんか?アレジとセナの話のとことか。孤独のまま不慮の事故死を遂げてしまった人が伝説になってるのは、それが勝利の女神が孤独な勝負師に与えた究極の勝利の形だっていうわけ?あああー、言ってて自分でわからんー。

何度も引用しますが、クサナギツヨシは、「これからは野島ワールド全開で、自分の観念にない満の悲しみが出てくる」と言っていました。満の悲しみ。

今回のこれも、そのクサナギ言うところの、「自分の観念にない悲しみ」なのじゃないかと思います。

でもさぁクサナギくん、これ、クサナギくんの観念だけの話じゃないと思うよ。満の悲しみ、誰もわかんないってば。だって、そこに至るまでの道筋がなーんにもないんだもん。ただ説明セリフの荒野があるだけで、活字で満の悲しみを読んだとして、それを理解できる人なんかいないんじゃないの?活字の段階で、生きて動いて喜び悲しむ、満を想像できる人なんかいないんじゃないの?

でも、あなたはそれを表現したんだ。

ここまで暴言の数々をつくしながら、改めてわたしは言います。

第10回、泣きました。満がなんで悲しいのか、ぜんぜんわかりませんでした。なぜその道を選択しなきゃいけないのか。極端に幸せを怖がるのは満の生きてきた道のせいなのか、あまりにも純粋でまっすぐな麻奈美のせいなのか、なぜ、そこで麻奈美ではなく、孤独に勝負する道を選んだのか。今までの回でわたしは何も教えてもらえず、何も分からなかったけど、でも泣きました。

満が、悲しんでいたから。

普通ね、たとえば外国のニュース映像とかが流れて、見知らぬ外国の人がガンガン泣いてたとしてね、でもニュース自体は外国語でぜんぜんわかんなかったりしたらさぁ、「なんか悲しそうだなぁ」って思うけど、それ以上のことないじゃないですか。再会もののドキュメンタリーみたいなのよくあるでしょ?ああいうのって、突然人が出てきて、わーわー泣いてても、「なんで泣いてんだろ?」って思うだけじゃないですか。再現映像とかが流れて、ちゃんと納得いく、「この人にはこういう過去があってこういう苦しみがあってこういう別れがあって」っていうのを(時としてちょっとおおげさ気味に)説明されて、で、はじめて、その人が再会の喜びに震え、あるいは喪失の悲しみに打ちひしがれるのをみてこっちも泣けてきたりするわけじゃないですか。

そんなのなにもなかったのよ。

でもはっきりと、痛いくらいに分かった。分かるだけじゃなくて、こっちのきもちを共振させてきた。

「悲しい」って。

「満の悲しみ」っていうのは今回の話のすべての軸です。この軸がなくなると、話自体が成立しなくなる。でももともと、脚本の段階では「満の悲しみ」そのものは成立してないんじゃないかと思う(笑)。

でも、クサナギは演じたんです。満の悲しみを。「悲しみ」っていう感情そのものを、伝えたんです。うざったい説明セリフの数々がわたしに何も伝えはしなかったのに、クサナギツヨシの「井原満」は、わたしにきちんと伝えたのです。「悲しい」と。

そしてその満の悲しみは、ほかの登場人物にもきちんと伝わっていた。
見ましたか麻奈美。深田恭子ちゃんはアイドルですよ。そのアイドルが、口をヘの字にして、ほんとぎりぎりじゃないかっていうくらいの顔をして、ぽろぽろぽろぽろ泣いた。かわいかった。愛しかった。まっすぐに生まれ育った愛らしい子が、はじめて挫折する、大人になる瞬間の悲しみを見たような気すらした。

さだまさしさんも好演でした。さださんの役柄の人が、満に「勝利の女神の嫉妬」の話をわざわざして勝負師として生きることを煽りながら、「自分は家庭を捨ててその道を選んだ。しかし孤独だ。孤独はさびしい」とかなんとか言いながら、自分は娘のためにシラフで戦う、そんで負けちゃう。で、結局孤独でなおかつ勝負運もない人になっちゃった気がして、その辺も「あの人なにがしたかったのかなぁー??」ってよくわかんないとこも多いんですけど、でも、それを乗り越えて、今回のファイトを成立されるために重要な何かは、きちんと伝えてくれたと思います。

満は戦う道を選びました。それは自分のために戦うのだ、ということのようです。なんだか理由はわかんないけど(しつこい)、今回、その選択をしたようです。そして勝負師として、伝説になる、と宣言しました。まぁこれは最終回への伏線なんでしょ。しかしいまさら伏線・・・にゃにおう?!

ではクサナギツヨシは、いったいなんのためにこのドラマを、井原満を演じていたのでしょうか?役者でいることが好きだから?主演の自分のためにがんばっちゃってる?数字期待されてるし?

なんか違うような気がする。

月刊テレビジョンのエッセイで、クサナギツヨシはこうも言っています。
「悩んで悩みぬいて、最初から見てくれてる人を裏切らないような結末に向けて全力でやる。期待して見ててください」

多分、クサナギツヨシは、わたしたち見ている人のためにやってくれてる。見ている人が、楽しめるものであるように。それは彼が、SMAPとしての活動の中で、今まで出てきたテレビドラマで、そして舞台で、身に付けてきた彼の誇りであるような気がする。

ありがとう。あなたがやってくれるから、わたしは、楽しんで、最後まで見ます。満の悲しみや、喜びを感じながら、楽しんで見ます。

ありがとう。


「感想ファイト!」インデックスへ
「『フードファイト』特設掲示板」へ

Topへ

運営者宛メールはこちらへ