「フードファイト第十回 感想」
〜かくも壮大なる勘違い〜

川本 千尋


※あっ、すみません。読みにくいですか? 語る語る語りつくす感想ファイト全一段落。
 クサナギツヨシがこのドラマでやってる仕事は、
 こんなふうに「語る語る説明する説明する説明する説明しつくす」全一段落の文章に、
 自分で改行を入れてゆく作業、もあるんじゃないでしょうか。
 
※普通の人間に読みやすいバージョンはページの一番下へ↓



松本さん、松本さん、そうなんですよ。びっくりしましたよ、わたしも! ある意味、逆のびっくりかもしれません。 自分のために戦う。 あのー、「俺の胃袋は宇宙だ」ってそういう意味だったんじゃないんですか? 今さら何をびっくりしとるんだ、満。 それがすべてか、そうじゃないのか、って違いはあるとしてもですね、自分のため、言い換えれば自分との戦い。1、2ラウンドは煩悩バリバリだけど、3ラウンドのラストスパートはいつも、ひたすら煩悩に負けそうになった自分と戦っていたじゃないか、満ーー。 さて、友人からこんなメールが来ました。 「最終回にモーニング娘。全員が出るのは反対! 中澤さん一人なら納得いくけど、全員って言うのはあからさまに視聴率狙い、フードファイトの世界を汚される気がしてすごくイヤ。九太郎の声が誰かっていうのも視聴率狙いでイヤ」 気持ちはわからなくもありませんが、それは勘違いです。 第一に、このドラマは始まる前から“視聴率狙い”です。 「SMAP久々の新曲、作詞・野島伸司、フードファイト一回目で初披露」 これが視聴率狙いでなくていったい何が視聴率狙いでしょう。 もちろん、らいおんハートはいい曲です。ドラマのエンディングでかかった瞬間、グッとこみあげる感情。ジャン・クロード・ヴァン・ダムの映画『ライオンハート』が思い浮かんでしまうのはさておき、ドラマの主題歌が大ヒットしているのは本当に本当に嬉しいことです。 でも、視聴率狙いだったんですよ、発端は。 一切の露出をせず、ドラマ一回目の最後で初めて流す。歌の録音が放送開始数日前だったのもクサナギツヨシや香取慎吾がずっとそれを知らなかったのも、すべてはその「秘密」を守るためでしょう。曲が素晴らしいだけに、このあたりのあざとさはたまりませんでした。 第二に、“フードファイトの世界”は確かにあります。愛すべき、とんでもないドラマの世界です。しかし、視聴率狙いで汚される云々いうほどすごいもの、というのは勘違いです。 ここ数話、妙にいい話に見えてきて「まともにすごくいいドラマ」だと勘違いしそうです。でも、視聴率狙いのお遊びも笑い飛ばしたり感心したり呆れたり、そういうのも全部ひっくるめて楽しめるドラマ。実際の芸能界のしがらみやらなんやら、そんなこともすべて飲み込んでしまう宇宙の胃袋。フードファイト自体が、そういうドラマなのだと思うのですが。 勘違いと言えば、わたしも、泣きながら食べ続ける満に、道化師のソネットをかすれ声で口ずさむ満に、泣かされました。さだまさしのインチキ占い師が素晴らしい味を出していました。 でも、脚本、わかんなかった。 松本が細かく書いてくれていますが、「僕の観念にない感情」ではなく、誰の観念の中にもない感情。1話から積み重ねてきた……積み重ねていないとも言えるが……とにかくこのシナリオでここに至って、この感情に結実するわけがない。のに、満は麻奈美を失うことが悲しかった。生涯で一番の悲しみだった。それがちゃんと伝わってきた。見る人も泣かせてしまった。 こんなことしちゃって、いいんでしょうか? ドラマとは、物語とは、創作に感動する心とは。そういうことでいいんでしょうか? なんと壮大なる勘違いを、視聴者にさせてしまったのか。 それ自体すごいんだけど、確かに。 そして、スタッフが単純に「わーい、やったー」と勘違いしてなきゃいいんですが(笑)。 いや、だましのポイントをわかった上でのガッツポーズならいいんですけどね。 古今東西、優秀な創作物はだまされる感動も与えてくれますが、微妙に意味が違うんだなあ。どこかに「それにだけはだまされてはいけない」という部分がある。 第十回、出演者に課せられた説明ゼリフ地獄。 宮園会長の語る、冴香の父。 園長先生の語る、満の過去。 占い師の語る、ジャン・アレジとゴクミとアイルトン・セナと自分の過去。 如月医師の語る、俺の後任のコミッションドクターはなんとかかんとか。 冴香の語る、父の過去。ああー、懐かしい、三話の久美子の過去に出てきた、お父さんは人が良くてだまされて保証人になってどうのこうのの長ゼリフ。 わざととしか思えません。助けてくれー、もういい加減にしてくれー、寒いギャグは我慢するから普通の日本語でしゃべってくれー、と、前半、かなりくらーい気持ちで時間が過ぎるのを待ちました。 しかも、松本も書いていますが、運命と運と伝説。話のすりかえの強引さ。 そして満は、なぜそんなにも麻奈美ちゃんに惚れるのか?  結局最後まで、麻奈美は「まっすぐでかわいい女の子」なんですね。それだけで、あの満の心の飢えを癒し、園長先生が延々と説明してくれたように満は初めて心を開いたんですね。 とことん納得いかない女性です、麻奈美。ヒーローの心を癒し、光に導く女としての描き込みが全然足りない。満の側もたまたまかわいい子がいて、ちょっと好き、って程度にしか描かれていない。なんで今まで他人に心を開いたことのない満が開いたのか、そもそも「閉じていた心を開いた」という印象的な描写もない。ただ園長先生の説明と、満のモノローグだけ。 満は園に来た頃、ひねくれて暗い、万引きを繰り返すような子供だった。それがどうして変わったのか、園長先生にもわからない。わからないんだから九太郎がキッカケじゃないだろう、と推測するが、何しろフードファイトだからわからない。さらに、その「変わった」のはいつなのか。子供時代なのか、青年になってからなのか。麻奈美がつくし園に来てからなのか。たぶん少年時代なのだろうけど、それも説明ゼリフで何度か語られただけなのでさっぱり見えてこない。園長先生にもわからない理由で明るくなった満だが、それでも心は誰にも開かない。それを麻奈美には開いた。 いつ? なぜ? さっぱりわからない。それらしい説明はあったけど、って、ああ、いつも説明説明説明だ(笑)。 でも、深田恭子だから納得する。あのまっすぐな疑いを知らぬ瞳で、なんのためらいも迷いもなくセリフを言いきってくれるから「そういうものか」と納得する。 さだまさしの占い師のセリフも、字面としては納得いきません。F1のたとえ、工場の失敗、妻の不貞。そしてフードファイトと「運」の不整合。 でも、さだまさしだから納得する。最終回ひとつ前のラストシーンに、さだまさしの歌、それも「道化師のソネット」を使いたかったのでしょう、野島伸司。そして、ドラマチックな曲とともに、洒脱なトークでラジオの人気DJとして一世を風靡し、映画やドラマの実績もあるさだ本人を役者として起用する。あの占い師は、さだまさしだから、説得力があるのですよね。さだまさしだから、彼の話を聞いてしまうのです。あの役がさだまさし以外だったら? 初めにさだまさしありき、で作られた10話でそれはあり得ませんが、誰を持ってきてもさだまさしの説得力にはかなわないでしょう。 それを全部ひっくるめて、野島伸司はやはりすごい。 視聴率狙い、話題づくり。 あからさまにそれを見せつつ、しかも作品としての説得力を持たせてしまう。 両立させてしまう。 天性、プロデューサー感覚に優れているのでしょうね。 10回のそれぞれは見る人を呆然とさせる低レベルの部分を持ちながら、トータルで野島伸司が描いた全11話の青写真は、おそらく有無を言わさず納得させる創作物なのでしょう。 8月に入った頃でしょうか、松本と話し合ったことがあります。 「野島ワールドとは何か」 レイプ、ドロドロ、死、恨み、復讐、血縁、因縁……お互い勝手にキーワードを上げまして、もうひとつ出たのが 「全部語る」 なんでもかんでもとにかく全部語ってしまう。普通「匂わす」ですますことも「設定でわからせる」こともすべて語る。誰もが語る、語る語る、語り尽す。語り倒してなお、客を逃がさない。 言葉の選択と構成。持って生まれた才能だと思います。野島伸司には、それがある。あざといビジネス/マーケティング感覚と創造力を両立させるという、これぞ希有の才能もある。しかしフードファイトに関しては、その言語感覚を使ってくれる気がないのですね。残り一話となって、それがつくづく残念です。 ところで、クサナギツヨシを見てきたわたしとしては、第十話は『蒲田行進曲』を思い起こさせるシーンのオンパレードでした。 「車庫入れなんかどんなにうまくたってお金を出して観に行くやつはいない。  思いっきりエンジンを吹かしてコーナーに突っ込んで行く、  だからグルグル回っているだけのF1に金を出して観にくる」   つかこうへいが作品中に書き、談話でもよく使うたとえです。『蒲田行進曲』の稽古中、だから舞台ではブレーキを踏むな、と教えられ、その通りに突っ走ったクサナギツヨシ。勝負事の例としてF1が出てきたとき、さすが野島伸司、何が最もクサナギツヨシの琴線に触れるかわかってるなあ、と思いました。 「僕、ジェームス・ディーンになるんです」 「そう。じゃあ俺、青森でその夢、応援してるよ」 『蒲田行進曲』のヤスと、青森に帰る大部屋・岩崎さんの会話です。ヤスは昭和の初演から、ジェームス・ディーンに憧れ、部屋にポスターを貼っていました。清々しく、希望に輝く瞳で「ジェームス・ディーンになるんです」とは言わなかったけれど。 地獄の葛藤を越えて、ヤスは階段落ちに臨み、死んで伝説になる。クサナギツヨシの好きなリーバイスとジェームス・ディーンで、ヒーローの伝説と死を呈示する。こんなところにも蒲田つながりを見いだしてしまうのは病気かも(笑)。 『蒲田行進曲』の客席で野島伸司を見かけた、という目撃談を何人かの知人から聞いています。未確認情報ではありますが、見ていないわけはないと思う。『蒲田行進曲』のクサナギツヨシを見て、キレる芝居をやらせよう、という単純な結論に至った制作者は数多くいるようですが、それとは一線を画し、“テーマを背負わせる”道を選んだ野島伸司。そこまでわかっていて、なんでこういう脚本でやらせるんですか、もう(笑)。 テレビ誌のインタビューで、クサナギツヨシはフードファイトのテーマを“愛”だと語っています。 最終回。どんな“愛”が描かれるのでしょうか。 個人的ラストシーン案。 黒いスーツにクリーム色のネクタイという九官鳥スタイルの満は、ラストファイトで命を落とした直後、九官鳥に姿を変え、時をさかのぼり、給食費を盗んだといじめられている小学生の満の元へ羽ばたく。 生涯唯一の親友が、自分。 どうすか。野島ワールドっぽくない(笑)?
  

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