「フードファイト第三回を見て」
〜受け身からの脱却〜
まこと
三回目にして初めて草なぎ君の演技について考えてみることにします。
とにかく彼の満役の演技は、しょっぱなから非常なる違和感を私にもたらしました。「何か違う!でもなんだか分からない」、・・・このもやもやとした、なんだか目隠ししておかしなモノを無理矢理呑み込まされているような不快感は、しばらく続きました。
しかし、(関西で)先週から始まった「じんべえ」の再放送を見た時、その”おかしなモノ”の正体がハッキリ理解できました。
それは、「受け身からの脱却」ということです。
「じんべえ」を例に挙げるのもなんですが、職人吉田紀子氏の脚本だけあって、非常に緻密に視聴者の感情の波を計算し、笑わせどころ、泣かせどころ、(内容の好き嫌いは別として)草なぎ君の寺西役はよく書き込まれていると思います。
まだ、放映は4話目位なのですが、
私が「ああ、これが寺西君なんだな」と思ったのは、
2話の、じんべえ先生が「こんなどこの馬の骨ともしれない学生を家に上げて・・・」と美久を怒ったとき、一瞬映った寺西の表情でした。
もうなんともいえない、尊敬する先生にそのように言われて、それを説明することもできない、傷ついた苦しげなその顔は、被虐者たる哀しみをまるごと表現しているようで、
小さなたったの1シーンだというのに心がひどく動かされました。
こう考えてみると、草なぎ君のこれまでの役柄とは、常にこうした受け身の「被虐者の哀しみ」がつきまとってはいなかったでしょうか。
初期の片思い症候群の優しい青年達や、元妻に男として情けないとコテンパンにのされる「成田離婚」、そしてあのヤス・・。
また、その一変形としての、社会の被虐者である子供達に同じ視点の高さから共感し、共に傷つき悩む「先生しらないの?」や「TEAM」・・。
こうした作品の中で、彼が誰か他者に傷つけられたときに見せるリアクションの表情は、あまりに微妙であまりに繊細であるがゆえに、他の追随を許さず、最も天才的だと私は思うのです。
これは全くの推測ですが、この表情は、彼のこれまでの人生におけるコンプレックスの多さ、深さが起因していると、私には思えてならない。
自分の欠如に端を発する哀しみが、そのまままっすぐ人間という、果てなき欲望の存在自体の哀しみをも貫くことで、独りよがりではない、普遍的な共感を得ることが可能になった、奇跡のような表情だと私は思うのです。
ヤスは傷つけられ、傷つき、そして被虐者から加虐者へと転換したわけですが、その根は全く同じです。とにかく、「受け身」から始まっている。他者による(自分の周囲の世界からの)攻撃に対して、どう反応するか、そうしたことで彼の演技は始まっている気がしてならない。傷つき、そして時には耐えられなくなって爆発する。皆同じです。
ところが今回の満役は、満の本質に切り込んでくるような、満を真に傷つけられるような人物は未だ登場していない。逆に満自身が他者に介入して、小さな嵐を巻き起こしているような状態で、前述のようなリアクションの表情も未だ登場していません。
これは、満が過去に非常に深い傷を負いながらも既に自分の力で乗り越え、その分深みを増して、今を生きているということを示していると私は思います。
子供達や美しい女性達に対するあの「可愛くてたまらないのでからかっている」というスタンスは、今までにない、一つ上の立場からの視線のような気がしてなりません。
(特に子供達に対しての対応は、今までの包み込むような愛情と同じ様にも見えるのですが、その実心の奥底で突き放した、突き放すことで愛情を表現するような点で似て否なるものに思えます。)
これは、ある意味銀ちゃん的な、正統派主役のスタンスだと私は思います。
「大阪蒲田」をはじめて見たとき思ったのは、
「銀ちゃんはSMAPの他の4人でも、もちろん他の役者でも面白いだろうけど、
このヤスは草なぎ君しかできないだろうな」というミーハーな感想でしたが、
これは裏を返せば、「草なぎ君には銀ちゃんはできないだろうな」
というあきらめにも似た開き直りでもありました。
ところが、「東京蒲田」の終了後に私が見たのは
ある意味ヤス的な人間の哀しみを、強い意志の力で乗り越えてしまった
新たな草なぎ君の姿でした。
その後のTVでの彼の一つ突き抜けたような言動を見るにつけ、
「ああ、彼の中で、今までのコンプレックスは完全に瓦解してしまったんだな」
という感を強く持ちました。
コンプレックスから発した従来の彼の演技は一つの花として残るにせよ
彼はもう新しいスタートラインに立ったのではないか、
と何となく予感していたわけです。
そして、フードファイト。
確かに彼の演技は今までに比べ
緻密ではないし、心を動かされるのには時間がかかる。
でも、主役として、受け身ではなく皆を強烈に惹きつけ、かき回し
新しい世界を切り開いてゆく。
正統な自分への愛を持って演ずる役者は、
それだけ強く魅力を発します。
自己愛が多すぎて鼻につく役者さんの多い中で、
全くといって自己愛を感じない草なぎ君の演技が大好きだったのですが、
今後の彼の守備範囲を考えると、
そして豊かな大人としての成長をも視野に入れると、
そろそろ彼も自分に、少しは酔ってみてもいい時期かと思うんです。
だから、
キスは受け身でされるのではなく
自分からしてしまうくらいの満でいいと思います。
いつかの日か草なぎ君の銀ちゃんが
とってもみたくなってしまいました。
以上