「フードファイト第一回 感想」
〜おとぎ話の毒の花〜

川本 千尋



「……どうしよう……おもしろかった……」

これが、見終わった瞬間の感想でした。
大混乱です。混乱のまま、今回の感想は終わるでしょう。

正直、番組が始まる前、ドラマの内容以外の部分でかなりショックを受けていました。あまりにも恥ずかしい露骨なプッシュ攻撃にへきえきしたところに“SMAP新曲ドラマ第一回で披露、作詞は野島伸司”でだめ押し。生宣伝にかいま見える、深田恭子ちゃんとの天然ふわふわ感だけが望みの綱でした。だからかえって何も期待せずに見ることができたのかもしれません。

おもしろかったんです。それなりに。

クサナギツヨシは「えーっ、成田離婚の頃よりセリフ下手になっちゃった(汗)!」だし、滑舌に至っては「おいっ、蒲田はどこいった!」だし、肝心のキメゼリフが全然決まってないし、そもそもそのセリフを書いている脚本が、いくら一回目だからとは言え説明ゼリフの工夫のなさは聞いてる方が頭を抱えたくなる状態だし、これで話がわかるの?とあきれ果てるし、肝心のフードファイトは全然迫力ないし、だいたい一回目から「八百長」ってそれはないでしょう? 一回目は大迫力の本気のバトルを見せてくれなきゃいかんでしょう? 中途半端な下ネタもダジャレもオトナ的には恥ずかしいし、第一ドラマとしてのテンポが全然ないし、たるいし、セリフはクサいし、ツッコみはじめたらきりがないほど穴だらけだし、パンツ一丁のなさけなさも……うーん……。

なのに、おもしろかったんです。
でもって、クサナギツヨシ、かっこよかったんです。
九官鳥も好きだし、来週が楽しみなんです。
ほんとに。

じゃあなんで、「どうしよう」なのだろう。

ひとつには、「これだけ穴だらけのドラマを、おもしろかった、なんて言ったらバカにされちゃうかも」と思ったから。うわっ、なさけないっ(汗)。

第二に、事前にこれだけマイナス要素があって怒っていたのに、始まってみたら受け入れてしまった自分が、やっぱりなさけない。

第三に、クサナギツヨシのダメさがふんだんに出ているのに、作品として受け入れてしまってる自分を信じたくない。

でも、悔しいけれどおもしろかったんです。それなりに。

悔しいのです。意図に乗ってしまう自分が。

事前に、このドラマをとりまくあざとさを知らずに見たら、わたしはもっともっと気楽に「クサナギツヨシ、ちょっと滑舌悪かったけど、表情にメリハリあってほのぼのしてるのもかっこいいのもよかったし、TEAMみたいにシリアス一方でいってほしくないからこういうのもやってほしかったし、まあお話は第一話で説明が多いのはしかたないし、次回が楽しみ(笑)!」なんて書いていたかもしれません。

TEAMは本当に質のいいドラマでした。シナリオ等、不満は多々ありますが、時間のない中、すべてのスタッフと出演者が必死で最良の道を探したのは間違いありません。でも、あの良さをわかってくれる人は少なかった。

TEAMが投げかけた問いは、すべての大人に見てほしい。でも、番組を見る、見ないの選択以上に、たとえ見たとしても、あれを受け入れられない、「うざったい」「重すぎる」という層が大多数。

だったら、フードファイトのような攻め方も、今のテレビには“あり”なのかもしれない。悔しいけれど。長いものに巻かれたくはないけれど。

と、なんのかんの言いつつ、とにかく「それなりにおもしろい」と感じてしまった自分を否定することはできません。

映像がきれいでした。
ドラマの音楽を鬱陶しいと感じなかったのも久しぶりのことです。
深田恭子ちゃんはかわいかった。クサナギツヨシにくってかかるシーンもほほえましかった。最後の涙はきれいだった。いまどき珍しい不器用な女の子のまっすぐさがよく出ていました。

そう、“いまどき珍しい”がいっぱい詰まっていた。目新しいことはひとつもなく、どこか懐かしい。タイガーマスクだから、なのは当然ですが、昔わたしが好きだったドラマの香りがしました。ドラマが、お茶の間の娯楽だった頃の香りがしました。あくまで表面的な香りだけなんですけどね。ここ数年、奇をてらったものが多いから、ホッとしたのかもしれない。

もっと、スカッ!とさせるのが狙いのドラマかと思っていたら、ほのぼのだった。ほのぼのの裏に、わかりやすい闇がある。そのわかりやすさが安っぽさにもなってしまうのだけど、ギリギリのところで懐かしさという甘味料を使ってごまかしているのはうまい。実子虐待の展開も「今さら」という声も聞きますが、何が今さらか。今さらってほどドラマ見てない人が大多数でしょうし、このドラマのターゲットでしょうし、第一「今さら実子虐待なんか話題として古い」とは言われたくない。何度でも、うまく使えるなら使って、問題提起していただきたい。

孤児院、という言葉はどうかと思いますが、単純に、緑があって、風が吹いていて、子どもがいっぱいいて、八千草薫さんがいて、深田恭子ちゃんがいて、そこにクサナギツヨシがやってくる。その絵はホッとさせてくれました。

かつての孤児院は戦争で親を亡くした子どもたち、戦争の後遺症で親に捨てられた子どもたちが寄り添うところでした。
現在でも、親を亡くして天涯孤独となった子どももたくさんいるでしょう。でもそれ以上に、親がいながら親と離れて暮らす子ども、極端な話、一見普通の家庭で普通の親と一緒に暮らしていながら、家庭内で孤児状態の子どもが潜在的に増え続けている時代です。ひとつ屋根の下にいながら、子ども一人の食事が増えている時代です。そんな問題はない、うちはうまくいってる、という家庭でも、食の細い子ども、好き嫌いの多い子ども、そもそも親が料理に慣れていない家庭、ファストフードや売っている総菜に頼る家庭も少なくない。

そういう時代の親子が、土曜の夜に一緒に見るドラマとしては、実にうまい設定です。まっこうから「しっかりしろ」とつきつけられたら反抗するけど、たっぷり砂糖をまぶしてあるので、なんとなくなめられる。

ドラマ自体が持つあざとさが、クサナギツヨシと深田恭子の“天然の無邪気さ”で中和され、筧利夫、佐野史郎、八千草薫というしっかりした俳優が作った土壌と柵の中に花を咲かせる。見るものを和ませる花壇だけど、実は毒の花だったりして……。

クサナギツヨシにとっても、大変な毒の花です。天然の無邪気さは11回をひっぱるエネルギーにはなりません。彼自身も苦境の中、かなり工夫して演じているであろうことはわかりますが、この毒の花壇で工夫することは、自分の首を絞めかねません。「その人間から自然にわき出てくる」よいセリフを与えられたときに発揮される彼の魅力は、今回は不発に終わるかもしれません。不発どころか、このシナリオでは滑りまくる可能性も大きい。少ない貯金を使いまくって空っぽ以前の状態になるかもしれない。

クサナギツヨシは「僕は自分で決めないで周りの人に決めてもらったほうがうまくいく」と言います。自分で何かしようとして失敗し続けた。そこで、心ある、彼のことを考えてくれる周りの人の言うことを素直に聞いてみた。そうしたらうまくいった。
以来、トントン拍子でうまくやってこられたので、彼のポリシーとなったのでしょう。“平和性”のひとつの形でもあります。

そのポリシーもいつかは、多少は、見直さねばならぬ時が来る。今回のドラマは、もしかしたらそのキッカケになるかもしれない……とまで思います。

もめ事は起こさない。周りの人の善意を信じてゆだねる。そのゆだねる勇気は素晴らしいし、実際素晴らしい出逢いをたくさん得てきたけれど、ひとつ間違えば無責任にも通じるのですから。

「ドラマ自体の持つあざとさ」と書きましたが、わたしは野島さんのドラマ、かなり好きです。“世紀末の詩”は再放送も見ました。
でも、今は“あざとさ”と言ってしまう。
ご自身は企画のみで脚本は身内任せ。
まるで“まともな作品は自分で書くけどB級は企画のみ”と言われてるように感じますし、なんと言っても“SMAPの新曲作詞・しかも第一話で初披露”にはまいりました。あざとい。これをあざといと言わずに、世の中の何をあざといと言いましょう。もちろん野島さんおひとりのことではなく、企画制作売り側買い側すべての関係者があざとい。

それでも、わたしはこのドラマに期待します。

だって、「どうしよう……おもしろかった」と思っちゃったから。

ああ、井原くん! 真っ正面から「おもしろかった」と言わせてくれ(笑)!


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