『僕の生きる道』第九話

〜「自分の道を歩き始める子どもたち」〜

湯山きょう子

 1話から8話まで、2年G組の生徒たち(の多く)が交わす会話。そこには、聴いてほしい、聴きたい、という雰囲気がまったくありませんでした。時間が惜しい。ライバルと会話しても意味がない。蹴落としてナンボなのだから。
 そんな会話には「間」がありません。そして、まっすぐ目と目を見合わせることもありません。相手の目を見て話し、しかもそこにポカンと「間」が空くと、相手につけ込まれると感じる。「否定の返事」だと感じる。「間」のとれない会話は、誤解を招き、不快をもたらし、互いに相手に届かず、届けてほしいとも思わなくなります。だから目を合わせなくなる。他人と喋らなくなる。

 他者の不在。

 自分の存在、すなわち「わたしは誰か、世界にただひとりのかけがえのない誰なのか」=アイデンティティを確認するには、必ず他者が必要です。他者があるから、その対比としての自己がある。
 
 デカルトは目に映る世界のすべてを疑い、あれも怪しい、これも偽物かもしれないと考えたあげく、「こうしてわたしは考えている。だからわたしは存在する」。「われ思う、ゆえにわれ在り」の結論に達したようです。他者がなくとも、考える自分がいるなら、自分は在る。この哲学的思考について、いまわたしは検討できるだけの知識も智恵もありません。ですから、
 
 「自己確認は他者がなくては成り立たない」という前提で話を進めます。

 他者との会話に心地よい「間」がとれないと、他者の存在を確認できない。物理的に同じクラスの生徒という“人間”はいますが、誰もが自分のことしか考えない。他者の存在を努めて意識しない。他者がいないから「世界にただひとりのかけがえのない存在である自分」を確認し、安心することができない。

 ここに「自己価値観がないこと」が拍車をかけます。

 今現在、自分は無意味な存在だと感じている。けれどそれには目をつぶっている。目的の大学に合格すれば、自己価値観を確認できる、と信じているのではないでしょうか。

 確固たる自己価値観をもつには、親に無条件で需要されたかどうか、が最も大きなポイントである、と言う説が有力です。「無条件で子どもを受容する」とは、甘やかす、と言う意味ではありません。

 では「無条件で子どもを受容しない親」とはどんな親なのか。

 『なぜ自分はこんな性格なのか?』(根本橘夫/PHP)から例をひかせていただきます。

 ・親の期待する水準に達しなければ喜んでくれない親。
 ・子どもに服従ばかりを要求する親。
 ・「あなたのため」「あなたのことを思うから」と、常に自分が子どもより
  高いところにいることを強調して、自分が優位に立とうとする親。
 ・自分自身が自己価値観に自信がないため、自分を高めるために、
  相対的に自分の優位性を強調する親。

 子ども……何歳までをいうのかはわかりません。場合によっては、70歳、80歳になってまで、というケースもあります。とりあえずそれは特別なケースとして、子どもが、生まれたての赤ん坊の頃から無意識に「親に喜ばれる」行動をとることはよく知られています。

 命令を聞くと喜ばれると感じれば命令に従う子ども。
 家の手伝いをすると喜ばれると感じれば何でも手伝う子ども。
 笑わせると喜ぶと感じれば、ひたすらピエロを演じる子ども。
 しゃべるといやがられると感じれば、黙っていようとする子ども。
 父が母を馬鹿にしている、父の方が権威がある、だから母を馬鹿にする子ども。
 周りから見てひどい親に見えても、その親をかばう子ども。

 わき目もふらず猛勉強して、よい学校に行き、よい会社や官庁に入り、出世をすれば喜ぶと知れば、当然それに応えようとします。
 
 どれも、どの家庭にもあり得ることです。一つ、二つ、三つ。別のバリエーションも。親だって「完全」ではありませんから。
 しかし「それだけ」だったら? それ以外に、親を喜ばせる方法がなく、ひたすらその道を走るしかなかったとしたら?
 
 その子には「自己価値観」は育ちません。なぜなら「親に喜ばれる(嫌われない)のが自分の存在する価値」だからです。他者との関係など、どうでもいいのです。
 
 子どもには、やがて“反抗期”が来ます。最初は3歳頃、そして思春期。それは健全な、親との分離であり、自己の形成です。
 しかし、親が自分の自己価値観を満たすために子どもを利用し、また子どももそこに安住してしまった場合、共依存が生まれます。
 子どもの方も、心のどこかでは何かおかしいと感じている。でも、今の親子の関係に逆らう勇気はない。ある種、居心地もいい。逆らってしまったら、すべてがダメになるような気がする。それは、その子に「自己価値観」がない、もしくは希薄だからです。
 
 わたし自身、胸の痛い話です。わたしは、大学どころか30を過ぎるまで、いや、もしかしたら今でもまだ、親を愛しつつ、憎みつつ、しかしその「縛りつけようとする愛の都合のよいところだけ」利用しています。自己価値観の希薄な人のケースを、同書から引用します。

****************************************

人より秀でようとして、現在を未来のために犠牲にする。自分の好きなことや適性のあることに熱中するのではなく、親の期待や社会的評価にこだわり、過度にがんばってしまう。失敗は自分の存在価値そのものを脅かすので、努力型の示唆や充実感によって後押しされるのではなく、不安や焦りによって後押しされる。

****************************************


 『なぜ自分はこんな性格なのか?』には「親の無条件な需要」で形成され損なった自己価値観を取り戻す方法が二つ書いてあります。
 
・自分を心から愛してくれる人の出現で獲得する(友情や愛情の意義)。
・自ら成長する過程で、自己価値を考え、追求してゆく中で獲得する。
 
 自己価値観とつながるものに“不全感”があります。親が認めてくれること。そのことを目指して子どもは努力する。そして“結果はどうあれ”偉かった、頑張った、と褒めてくれる。それで“不全感”は払拭される、はずです。性格分析や心理学の本を読みかじって(わたしです)、その「まねごと」だけしても、子どもにはわかってしまいます。
 
 文豪ヘンリー・ミラーは、50歳の時、今まさに死にゆく母のベッドに寄り添って、死ぬ前に一度でいい、自分の作品を読んだと言ってくれないか、と切に切に祈り続けたそうです。しかし、その祈りは通じることなく、母親は亡くなりました。“不全感”を埋め合わせようとする作風の由来を、『なぜ自分はこんな性格なのか?』の著者はここに推測しています。
 
 『野ばら』。ウェルナーの曲調は、シューベルトの作品より静かです。
 
 ♪わーらーべーはーみーたーりー のーなーかーのーばーらー

 この歌を聴いて、どこかで聴いた、何かに似てるなあ、似てるなあ、と思いながらインターネットを検索したり、家にあるCDを聴いているうちに、思い出しました。
 グレゴリオ聖歌です。
 伴奏なしのユニゾン(ハーモニーなし)。8世紀から9世紀頃に成立したようですが、特殊な楽譜で記されていたため、旋律の高低はある程度想像できるものの、当時、どのようなリズム・テンポで歌われていたか、わからないそうです。19世紀、フランスのソレムにあるサン・ピエール修道院を中心とする研究者たちが「グレゴリオ聖歌はすべて同じ長さの音符で歌うべきだ」と主張し、現在、それが主流となり、ローマ・カトリックでも公式見解とされているとのことです。

 わたしがこの歌を聴いたのは、どこかの教会か、コンサートでした。生だったことだけは覚えています。ラテン語なので意味はまったくわかりませんが、それまでに聴いたどの聖歌より、荘厳で癒される感覚を味わいました。不思議でした。

 第8話、病院の前でクラスの生徒たちが歌う『野ばら』に、わたしにはグレゴリオ聖歌がだぶって聞えました。

 グレゴリオ聖歌にはさまざまなエピソードがあります。おそらく現存する最古の西洋音楽であろうこと、中世以降現代まで、たくさんの作曲家が曲中にグレゴリオ聖歌の旋律を取り入れていること、また、変わったエピソードとして、こんな話を見つけました。

****************************************

第二次世界大戦後に第二ヴァチカン公会議が開かれ、キリスト教の典礼に大改革がされました。フランスのある修道院で改革の一つとしてグレゴリオ聖歌を毎日唱うことを廃止しました。すると、何カ月かたつうちに修道士たちに活気がなくなってきました。修道院長はその原因を食事にあるのではないかと考え、千年以上にわたって守ってきた菜食中心のメニューをやめ、肉類も取り入れてみました。しかし修道士たちは元気を回復しませんでした。たまたま耳の専門医に相談したら、グレゴリオ聖歌を唱わなくなったのが原因かもしれないとアドバイスされました。早速、聖歌を日課の中に復活させてみたら、次第に修道士たちは元気になったそうです。

****************************************


 足利短期大学のホームページより『宗教と音楽』(白銀昭文著)の一部を引用させていただきました。

 9話の『野ばら』は、ユニゾンです。最初からハーモニーをつけた合唱など、できるわけがありません。一人、二人と参加して、次第に人数が増えてゆく。へたくそだったのに、だんだん揃ってゆく。グレゴリオ聖歌について記した上記著者は、一つの音を長くのばす、つまり母音を長く響かせる歌い方は、身体に共鳴を起こし、活性化させる、と綴っています。秀雄が指揮するウェルナーの『野ばら』も、まさに“母音を長く響かせる”歌です。偶然ではありましょうが、歌って気持ちのいい歌、しかも人が増えるほど、連帯感が増すほど、声が多くなるほど、気持ちのいい歌なのではないでしょうか。ストレスが消えてゆく歌なのではないでしょうか。

 陽輪学園は、ガリ勉体制です。

 個人的な知り合いに、有名進学校出身者が何人もいますが、ひたすらガリ勉タイプの高校、やるときゃやるけど、やりたいこともやる高校、いろんな高校があります。やりたいこともやる高校を出た人は、あんなこともやった、こんなこともやった、バンドをやっていた、ボランティアで手話の通訳をやっていた、休みはひたすらバイトをして、残りの期間は旅行していた、などの経験を語ってくれました。それでも余裕で志望校、それもかなりレベルの高い大学で学びたいことをとことん学び、社会に出ています。大人としてつきあっても、話題が豊富で懐が深く、話して楽しい人たちです。

 総じて、ガリ勉しなければ志望校に入れない、しかし全員が有名大学に入ることが当然とされている学校の出身者は、30、40になっても、何かストレスを抱え込んでいる人が多いような気がしてなりません。余裕がない、と言い換えてもよいかもしれません。もちろん人によっては、ガリ勉の合間に自分で楽しみを見つけ、あるいは勉強そのものに楽しみを見つけ、ストレスを解消しつつ受験を突破しています。あくまで「わたしの周り」という、実に説得力のない話ですが(笑)。

 念のため付けくわえますが、当然ながら、進学校にはほど遠い高校を出て、素晴らしく楽しい人たちも、たくさん、たくさん、います。また、ストレスの塊の人もいます。

 さて、全員ガリ勉しなければならない学校の子どもたちに、いきなり「ジャズやろうぜ」は無理でしょうし「毎日走ろう!」や「ダンスしよう!」は、ストレートに体力を消費しますし、技能の獲得のため、身体をこわすこともあり得るでしょう。その後塾に行けなくなったり、勉強するべき時間に眠くなったり、弊害を及ぼすでしょう。彼らは、ガリ勉しなくてはならないのですから。

 「ガリ勉していい大学に入る」という前提条件の下、極力少ない時間で、しかし、抱え込んだストレスを昇華し、癒される。その方法を、秀雄とみどりは模索しました。
 “たまたま秀雄がそうだったから”選んだのが“歌”ではありますが、わたしには最良の選択、と思えました。なるほど、そういうストーリーができていたのだなあ、と思いました。『野ばら』の意味や、グレゴリオ聖歌のことを知らないうちは「ああ、歌ってやっぱりいいなあ」程度だったのですが、知った後は、あまりにもたくさんのことを考えて、何も書けなくなってしまいました。とにかく、家にあるだけの、助けてくれそうな本を読み直しました。付け焼き刃です。

 以前も引用させていただいた『臨床哲学試論〜聴くことの力』(鷲田清一著)の中に、こんな話が出てきます。
 カラハリ砂漠の民族について書かれた本『身体の人類学』(菅原和孝著)の紹介。カラハリのグウィ族の会話。それはときに言葉のやりとりにならず、誰かの発話に他の人の発話が重なることがあるそうです。日本語を母国語とする自分が普通に考えたとき、それはコミュニケーションにならないはずです。しかし“同時に声を響かせあい溶かしあうことによって成立するコミュニケーション”という形態が成り立っているのではないか、と。
 そう。まるで、何人もで歌う、歌のように。以下、『身体の人類学』からの引用です。

****************************************

「同時発話のもっとも根本的な動機は、たがいに協同しあいながら<ひとつの声で>何かを語ることにあるのではないか。(中略)まったく同じ単語やフレーズが見事にユニゾンされるとき、ことばはなにか情報を運ぶために口から発せられているわけではなく、まさにふれあう足と足のように、同時的に共有されるためにこそ発せられている」

****************************************


 この文章について、鷲田は次のように続けます。

****************************************

「歌うこと、それはわたしが別のだれかに、ある意味内容をもったメッセージとか情報を伝えることではない。<わたし>という人称のなかに閉じこもったふたりが向きあうことではない。それは、わたし、あなた、かれといった人称の境界をいわば溶かせるようなかたちで、複数の<いのち>の核が共振する現象とでもいうべきものだ。あるいは、現象学者、メルロ=ポンティの言い回しを借りて、「<わたし>よりももっと古いわたし」たちがその身体ごと共鳴する現象と言ってもよい。

****************************************


 引用ばかりで申し訳ありません。しかしこれを読んだとき、わたしが思い出したのは、杉田めぐみに秀雄が尋ねた「どんな歌を歌いたいんですか」に対する答え。
 
 「吸い込んじゃうような歌」
 
 でした。共鳴して、人々が吸い込まれ、共に歌いたくなるような歌を歌いたい。杉田めぐみの志は、きっと、秀雄の志と一致したのではないかと。

 もちろんこれは、一つ間違えばファシズムです。身体が共鳴して、心や頭が動く。よくわからないけどデモに参加したら思想が決まった、というケースと、理論的にはまったく同じです。これを「気持ち悪い」と感じるのも、健全な一つの気持ちでありましょう。

 しかし、1話から9話までの9週間をかけて築き上げてきた物語の中では、許される、納得できると思うのです。

 音楽は、間が決まっています。安心して発話できます。冒頭で触れたように、とくにこの『野ばら』は、母音の響きによる快感情を増幅させる曲、のようです。

 杉田めぐみは最初から自己価値観を持っていました。ガリ勉学校に入ってしまった、親との共依存、親への甘えがあるから、学校では言い出せなかっただけです。

 “ママ”の言うことをずっとずっと聞いてきた田岡は、妊娠騒動、怪我騒動、それに続く理事長の言葉、そして秀雄の手紙によって、一歩踏み出していました。

 田中は秀雄の言葉に、杉田の歌に“吸い込まれ”ました。しかしそれに恐れを感じていました。自己価値観が「他人の目」でしか測れないからです。吉田の「まさか歌いにいくんじゃないよな」に、あわてて“吸い込まれた”ことをうち消しました。が、盗撮事件から、自分の中のストレスを認め、歌う楽しさを味わいます。

 そして、秀雄の命がもはや残り少ないことを知ったとき。

 その他の生徒たちも、自分自身で「自分の価値」を考え始めました。ストレスを認めました。田岡は、初めてハッキリと母親に逆らい、自分の意志による行動をとりました。

 倒れた秀雄の病室に、金田医師が入ってきてすぐ出ていきました。何をしに来たのだろう?……と不思議でした。その直後、生徒たちの斉唱。
 
 金田先生は、生徒たちの意志を聞き、病室を教え、秀雄の状態がよいことを確かめ、もしかしたら、病室を出たところで、窓から「OK」のサインを出したのではないか……?

 全部想像です。わたしは、自分の想像に酔っています。
 この感想そのものが、すべて“酔い”であります。
 
 しかし、今書けるのは、これだけなのです。
 
 あの歌は、わたしたちがテレビで聴いたあの歌声は、本当の彼らの歌声ではなかったかもしれません。もっとヘタだったかもしれません。でも、少なくとも、秀雄には「あのように」聞えたのでしょう。「天使が歌っているのかと思いました」と聞えたのでしょう。

 精一杯の敬意。感謝。祈り。
 生徒たちの行動に、その並び方に、3番まで歌い、1番をもう一度歌ったことに、そのすべてを感じました。美しく、気高く、高い志を感じました。整然とまとまりながら、ファシズムではなく、ひとりひとりが「自己価値観」を考えはじめ、自分の意志で動き出したことを感じました。

 9話のクサナギツヨシは、9話の中村秀雄でした。

 クサナギツヨシ自身、役柄上ダイエットした、と語っていますが、義務感以上に、
 
「彼は、(中村秀雄という架空の人物に魂を吹き込み続けて自然に)やせてしまったのね」

と、親友の一人がメールをくれました。




「僕の生きる道、私たちの生きる道」インデックスへ
「クサナギツヨシを考える掲示板」へ

Topへ

運営者宛メールはこちらへ