『僕の生きる道』第八話

〜「手折られた野ばらは、誰」〜

湯山きょう子

 カラオケボックスに新顔メンバーがいるとき、わたしはたまに英語で『思い出のグリーングラス』を歌います。どなたでもご存じでしょう。とても穏やかで、やさしいメロディです。
 
「汽車を降りて、ふるさとの家に続く道、子どもの頃に遊んだ木……そしてかわいいブロンドのあの娘。やさしいパパとママが待つ家の庭、ああ美しい緑の芝生」

 うろ覚えなので正確ではありませんが、そんな「懐かしいふるさとを思ういい歌」だと、日本語版の歌詞で聴いた幼い頃、思っていました。ところが、大人になって、カラオケで英語の3番の歌詞を初めて歌ったとき、歌ってる自分がひっくり返るほど驚きました。
 
「気づけばすべては夢。四方を灰色の壁に囲まれて、やがて時間が来れば、両腕をつかまれて連れて行かれる。せめてわたしを、あの懐かしい家の庭、緑の芝生の下に眠らせてください」

 死刑執行を待つ男の夢だったのですね。
 
 『野ばら』も、今までは、「わっらっべっはっみーたーりー のっなっかっのっばーらっ!」「あ〜か〜は〜ずううううなあがは〜〜〜〜〜むううう」というシューベルト版を(ごめんなさい、シューベルトさん)、テレビか何かでうまそうな人が元気に歌っている記憶しかなかったのです。今回、書籍まであたる時間はなかったのですが、インターネットでいろいろと調べてみて驚きました。ご存じの方は今さら、とお思いでしょうが、本当に驚きました。
 
 ちなみに、このドラマにでてくる『野ばら』は、ウェルナー作曲、近藤朔風訳詞。近藤朔風は、シューベルト版も訳しています。この二つは違う歌詞なのだそうです。どうもわたし、ウェルナー版、といわれる歌詞には記憶がないのですが……。
 そして、ウェルナーの曲に、シューベルト用の歌詞を乗せて、生徒たちに歌わせています。

 1番から3番までの歌詞を、乱暴に要約すると、こんな感じです。
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 少年が見つけた、野に咲く美しき小さなばら。少年は、折りたくてたまらない。
 
 野ばらは言った、折れるものなら折ってみなさい、わたしの棘であなたを刺すわ、いつまでもいつまでも、わたしのことを忘れぬように。わたしは傷つかないわ。
 
 しかし、少年は、乱暴に折りとった。野ばらは身を守るために彼を刺した。折られる痛み、嘆き、苦しみを懸命に伝えたけれど、少年には伝わらなかった。
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 そして、棘の痛みは、少年に、生涯残った。
 少年とは、もちろんドイツの詩人ゲーテ、21歳にして恋に落ちる。美しき野ばらにたとえた娘、18歳のフリーデリーケ。
 しかし、ゲーテは結婚を望む彼女を捨てて去りました。そして83歳まで有り余る恋に生き、しかし、常にフリーデリーケへの贖罪にさいなまれ、彼女への懺悔を刻んだ、素晴らしい作品を残しました。『ファウスト』のラスト、天国でファウストを待つ乙女グレートヒェンも、フリーデリーケそのものと言われているそうです。その、原点が『野ばら』でありました。

 つまり、折ったのが秀雄で、折られるのはみどり、を象徴しているのでしょうか?

 7話の最後、結婚を決意した秀雄とみどり。秀雄が母に、結婚と、そして、病気を報告する電話。声は震え、涙こらえ、悲しい、ごめんなさい、怖い、混乱の極みにある秀雄の手を握ったみどり。握り返し、しっかりと話しはじめる秀雄。「大丈夫」と、きゅっと口を横に結び、泣かないみどり。
 このシーンを見て、ふたりの決意の固さ、というより、このふたりは一緒にいなくてはならない、結婚しなくてはならないのだ、と、自然に伝わってきました。
 
 そして、8話。

 みどりの父は、納得できません。それはそうでしょう。親ひとり子ひとり、生まれたときに「この子もいつか、お嫁にいっちゃうんだなあ」と思い、8ミリに映る幼稚園の頃には「お父さんのお嫁さんになる」と言っていた娘です。「みどりの信じた人なら、お父さんも信じるよ」という言葉は嘘ではない。中村くんは、信じられる。恋人として、最期までそばにいてあげなさい。

 でも、何も結婚することはないじゃないか。たかが紙切れ一枚。

 思いつく限りの言葉を尽くして止める父に、みどりのひと言。

「死ぬとわかってる男は彼だけじゃないわ。世の中の男、全員よ」

 みどりに気づかれないように秀雄が、教頭の人情に後押しされて、みどりが。父に、祝福してほしい、と言いに行きますが、どうしても、どうしても、どうしても、経営者としてばかりではなく、教育者としても素晴らしい人格者であるはずの父は、納得できません。

 父の賛成を得られぬことを辛く思いつつ、秀雄とみどり、いや、みどりと秀雄は、次から次へとやるべきことをすすめてゆきます。
 みどりとふたりでいるとき、そこにはもう、肩肘張った秀雄はいません。ちょっと気弱な、一見すると、病気を宣告される前の、優柔不断で、自分からは何もしないような……。
 
 でも、はっきり違います。
 
 秀雄には、やりたいことがあるのです。教師として。人として。ただ、てんぱって自分から無理矢理動かなくても、みどりがどんどん背中を押してくれる。秀雄は甘えていい。素直な、おっとりと育った“本来の秀雄”がそこにいます。偽の菩薩でも、空元気でもない、素のままの秀雄がいます。  
 どんどんすすめる。どんどんやらなくちゃ。(だって時間が決まっているのだから)。

 普通なら、妻はそんなこと言わないはずです。言えないはずです。普通通りに、なんでもない日常のふりをして、残りの日々を過ごすはずです。しかし、秀雄とみどりが結婚したのは「安心して看取ってもらうため・あげるため」ではありません。それもありますが「生きている間にやりたいことを、ちゃんとやる」ため、そこに完全なる共感と愛があるから。それを実行するために、結婚するのだから。

 吉田のイライラを目の当たりにして、秀雄は考えます。どうしたらよいのか。彼らを、受験まで「あと1年しかない」彼らを、ストレスから解放してやるには。みどりの聞き上手が、歌、というキーワードを引っ張り出しました。

「放課後に歌を歌いませんか」

 生徒たちと『野ばら』については、9話で語りたいと思います。

 『野ばら』。
 
 8話の『野ばら』は、みどりの父のための歌であったような気がします。
 
 手折らば手折れ。ゆるさんぞ。棘でさしてやるぞ。そこまで言ったのに、あの男は折りやがった、わたしの、大切な大切なバラを!
 
 いやいや、この歌はあくまで一人称です。「わたしを折るなら折りなさい。棘で刺してあげるわ。わたしのことを忘れられないように」。
 
 さて、いったい「バラ」は、誰だったのでしょう? みどり、なのでしょうか?
 
 ここまでに何回となく登場した、父と娘の一致する行動。
 洗濯物を畳む姿。
 食事をしながら水を飲むタイミング。
 ぴったり合っているみどりと父。重いテーマを抱えたドラマのアクセントとなる、コミカルなシーンでした。

 しかし今、それは「父と娘の一体感」を、特に、父の側からの一体感を表していたのではないか、と思うのです。

 父は、娘と一体のつもりでした。「みどりの信じた男の人ならお父さんも信じるよ」。それだって、わかりのよい言葉に見えながら、一体感といえなくもありません。
 そこに投げつけられた、
 
「わたしはこの家に生まれて幸せだった。でも、自分はなんのために生まれたんだろう、って考えたとき、一度も答えがでなかった。でも、今は、はっきりわかる」

 娘は、自立し、去っていきました。

 父から見て、わらべは一貫して秀雄です。今は幸せにするといいつつ、9ヶ月のちには必ず娘を不幸にする男、秀雄。

 しかし、バラは、父から見たみどりであり、父自身であり、大混乱を起こしています。
 そして、父娘の一体感崩壊を、それを自分が最も恐れていたことを、まっすぐに突きつけられたのです。

 橋部敦子の脚本は、ますます冴えている、とわたしは思います。この回は、愛され、恵まれて育った娘の自立、娘を生き甲斐としてきた父の自立を、きちんと描ききりました。
 
 そして、星演出。美しかった。すべてが美しかった。
 
 わたしは、この美しさを待っていました。
 
 ふたりが暮らしはじめ、質素な部屋が少しずつ明るくなってゆくシーン。
 何度も何度も登場した“下から見あげるらせん階段”。
 
 そして何より、植物園の天井へ上がっていったカメラが、教会の天井に変わるシーン。
 
 式を司る牧師の言葉。みどりのネックレスから、秀雄の母へ、秋本みどりさん、あなたは……と問いかける言葉から、金田医師へ、それぞれが結婚式へと思いをはせる。
 
 最後の、みどりへの誓いの言葉を促す言葉にかぶる、いつか「ごめんなさい」というふたりの留守番電話を、父が黙って聴いていた部屋のパン。
 
 そして、答えようとする瞬間、教会の扉が開いて入ってくる、父。
 この時の光の美しさ。瞬間、手に持っていた指輪は光に隠れてはっきり見えません。
 
 振り返るふたり、父、ふたり、父、ふたり、そして、歩み、イスに座る父。その手に「みどりが結婚するときに渡す。だから君には渡せない」と言っていた、あの指輪。
 
 エンディングロールは、結婚式のシーンのみ。
 
 本編とは違う角度からの、たくさんのカット。
 
 気づかれましたか。
 
「そうさぼくらは」のところで、秀雄が「はい、誓います」と答えるスローモーション。光のハレーションではありましょう。でも、でも、秀雄の背中が、わずかに、透き通っていました。


 わたしの中で、1話、2話に匹敵する、深く心に刻み込まれる回となりました。
 思い入れが過ぎていることを、おわびします。




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