『僕の生きる道』第七話
〜Carpe Diem (今を生きる)〜
松本有紀
このドラマを見ていて、どうしてわたしはこんなにつらい気持ちになるのか、それがずっとわからずにいた。
どうして、言葉が止まってしまうのか、それがずっとわからずにいた。
テーマがあまりにも重いからか、わたしの生きてきた道のどこかに置いてきたはずの傷にふれるからか。でも、どれも、「これだ」と思えるものがないまま、わたしは、ずっと、おびえてこのドラマを見ていた。おびえていたけれども、ずっと見ていた。
ようやく、なぜなのかに気付いた。
わたしは、「今日」を忘れてしまっていたのだ。
わたしは一度、クサナギに、「明日を信じて生きていくこと」を教えてもらった。ずっとそれをわたしの心の力にして生きてきた。わたしは、明日に向かって生きるのだと、ずっとそう思ってきた。
でも、いつのころかそれは、ただ、単に、「今日のわたしを明日に預ける」ことだけになってはいなかったか。「今日を明日に繰り延べする」というだけのことになってはいなかったか。
明日があるからいいや、と、今日をないがしろにしてはいなかったか。
3年かかって、クサナギはそこにまた、すごい球を投げてきた。
「で、君の今日は、どうなのよ」と。
「明日があるって、誰が決めたの。どうしてそこに甘えるの。君に今、間違いなくあるのは、今日だけでしょう。そしたらなぜ、今日をないがしろにするの」と。
「明日」は、あくまで「今日」の続きにすぎないでしょう、と。
今日を生きないものに、明日りんごの木を植える資格はないのだよと。
りんごの木は、今日植えるのだよと。
自分の明日を見失ったのは、誰か他の人のせいだと思ってた。不況だしー、明日会社なくなるかもしれないしー、昔のテレビは面白かったしー、小説とかもさー、最近ピンとこないしー。なんかさー、日本とかわたしとかー、もうだめじゃん?と思ってた。
だけど、簡単なことなんだよ。今日を、大切にすればいいんだよね。今を、生きていることを、もっと感じていればいいんだよね。
クサナギ、すごいぞ。君は3年かかって、自分の立ち位置を変えた。アイドルとして生きてきた君に一番必要だったのは、「うそでもいいから、わたしたちに明日を見せる」ことだった。
でも、君は立ち位置を変えた。
今、君は、「今」をわたしたちに見せようとしている。テレビという枠を通して、録画で(あたりまえだよ・爆)、だけど、君は「今」を見せようとしている。
僕の生きる道は、ほかでもない、ただ、「今日」の積み重ねなのだと。
ずっと昔に見た映画を思い出す。
Carpe Diem.
今を生きる。
生放送が苦手な君(笑)、その場で「とんち」の効くことがいえない君(笑笑)。
だけどその君は、「役者」であることを通じて、「今」を、表現してるんだね。
それが多分、今の君の生きる道。