『僕の生きる道』第六話

〜「誰が、誰を、受けとめるのか」〜

湯山きょう子


 医療関係で有名なターミナルケア・アンケートがあるそうです。アンケート対象者は、医師、医学生、看護婦(師)、看護学生。

【問い】
「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」と患者に聞かれたら、次のうち、どの答えを選ぶか。

【選択肢】
1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。
3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
4)「これだけ痛みがあるとそんな気にもなるね」と同情を示す。
5)「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。

 皆さんなら、どの答えを選ぶでしょう。
 アンケートの結果、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが(1)、看護学生と看護婦(師)の多くが(3)、そして精神科医の多くが選んだのが(5)だそうです。
 『医療のクリニック』の中でこのアンケートを紹介している中川半造は「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す、というこの回答を、

「患者の言葉を確かにうけとめましたという応答」
「患者は、口を開き始める。得体の知れない不安の実体が何なのか、聞き手の胸を借りながら捜し求める」

 と表現しています。

 この話は
 
『「聴く」ことの力〜臨床哲学試論』鷲田清一著(TBSブリタニカ)

から引用させていただきました。これを糸口に、鷲田清一は「哲学は語りすぎてきたのではないか。聴くことの力をもっと考えるべきではないか、と、論を展開してゆきます。いつか、この本の力を借りてクサナギツヨシ論が書きたくて、何度も何度も読んでいます。付箋と蛍光マーカーだらけで、どこが重要なのかわからなくなってしまいました。でもまだ「身」になりません。クサナギツヨシの「架空の人物の言葉(セリフ)を聴く力」を、わたしはなんとか解き明かしたいのですが。未だ道遠し。あまりに深い、クサナギツヨシという森。
 
「先生、彼女が僕の病気を知ったら、どうなるんでしょう」
「さあ、どうなるんだろうね。君はどうなった。君は病気を知ってどう変わった。君の人生はどう動き出した」

 第一回から、金田医師のセリフは、いや、登場人物全員もちろんそうなのですが、特に医師と秀雄のシーンは、実に選びに選んだセリフがやりとりされます。今回のこのシーン、たまりませんでした。そして、秀雄の選んだ結論。

 話は冒頭に戻ります。
 
「まったく予想がつかないことが起こると、最初は実感わかないものなんですかね、いいことも悪いことも」

と、柔らかい笑顔で麗子先生に言う、秀雄。ギクリとする麗子先生。

「彼氏……でいいんですよね」

と、恥ずかしげに、でもうれしさを隠しきれずに続ける秀雄。みどり先生を部屋に泊める前に、麗子先生に確認する秀雄。胸が詰まる麗子先生。

 “結婚して家庭を作って、家を建てて、ある程度出世して……”と人生設計をたてていた秀雄の頭から“恋→結婚→家庭を作る”の、後半がすっぽり抜け落ちている。第一話で告知を受け、第二話で医師に「誤診ではないのか」とタイムラグをもって抗議しに行った時とは意味がまったく違いますが、ここでもタイムラグが生じて、今のことしか考えていない。だから、デートをして、そして、一夜を共にした。恋の時間が一分でも長く続いてくれたら、と神様に祈ることは忘れなかったのに、その恋のあとに“結婚”が続く可能性を、すっかり忘れていた。今のことしか考えていなかった。
 
 そうです。それでいいのです。今を生きる。そう決めたじゃないですか、中村先生。だったらそれでいいのに。その結果、結婚へとつながったら、それでもいいのに。みどり先生が望むなら、そのままでよかったのに。
 
 でも、それはできませんよね。できませんよ。六話の秀雄には、できないのです。みどり先生に、怖くて自分からうち明けられなかった、先に知られてしまった、知っているのに知らないそぶりを通してくれたみどり先生。コンビニから帰ってきたときも、何事もなかったかのように振る舞ってくれたことでしょう。いっぱいいっぱいになって、「ピピって言ってんのっ!」と壊れてしまうみどり先生を見て、さらに決意は固くなったことでしょう。
 
 これ以上、この人と一緒にいたら、もっともっと悲しませる。
 
 淡々と、あまりにもかわいい恋愛の喜び。一夜をともにして、もう少し見ていたかった、世界で一番好きな人の寝顔。
 みどりが帰ったあと、おそろいのお椀を見て、微笑み、ふっと「今の先」を思ってしまう秀雄。
 赤坂栞に「神様っているんですね」と言われて、ほんの一瞬の悲しみをたたえた微笑み。
 赤坂栞の言葉に傷ついたみどり先生を慰めるつもりが「できることなら二度と大切な人を失いたくない」と言われて、いたたまれず部屋を飛び出し、灯りを、今までは、自分がいなければ決してつくことのなかった部屋の灯りを見上げるまなざし。
「君の人生はどう動き出した」と金田医師に聞かれて、心の闇の中、答えを探してさまよう瞳。
 みどり先生が去ったあと、ビデオのボタンを見て自責と後悔のあふれる表情。
 
「神様、お願いです。僕の運命を変えてくれませんか。……だめですか」

 この「……だめですか」を、静かに、ずどーんと視聴者の胸に突き刺すクサナギツヨシ。中村秀雄という架空の人物に、確実に命を吹き込んでいます。
 
 揺れる揺れる、第六話の中村秀雄は、クサナギツヨシでした。そして中村秀雄でした。ふたりは寄り添うように、三宅喜重ディレクターの静かな画面の中にいました。

 当たり前なので毎回書いていませんが、橋部敦子の脚本は素晴らしい。

「朝メシ、食べて来なかったんだ」
「うん、コーヒーだけ」
「ふーん。コーヒーは飲んできたんだ。ふーん」

 わたしは、長いことテレビドラマから離れていました。
 向田邦子の死、以来。
 倉本聡が「北の国からのひと」になって、以来。
 特に好きな脚本家は、テレビの中には、長らくいませんでした。いいなあ、と思う作品をよく書いている人はいますが。
 向田邦子は二度と戻りません。でも、向田邦子が、果たせなかった仕事を、橋部敦子がやってくれるのではないかと、いま、小さな希望を胸に抱いています。




「僕の生きる道、私たちの生きる道」インデックスへ
「クサナギツヨシを考える掲示板」へ

Topへ

運営者宛メールはこちらへ