『僕の生きる道』第四話

〜「ドラマ自体が生き急いでいる」〜

湯山きょう子


「夜爪を切ると親の死に目に会えない」

 皆さんご存じのことわざだと思います。
 昔は灯火が暗く、今のように安全な爪切りではなくハサミを使い、もちろん医療も発達していませんでした。そんな状況で夜爪切りをすると、間違えて足の指に傷を付けてしまう可能性がありました。足はただでさえ汚い場所。うっかりするとばい菌が入って、最悪の場合、命を落とすこともあり得ます。ごくごく僅少な例でしょうが。
 「親の死に目に会えない」とは、「自分が先に死ぬから」であり、親より先に死ぬのは何より親不孝とされていました。今でも、親より先に旅だった子どもを火葬場に送るとき、親はついていかない、という風習が残る地域もあるそうです。
 
 親に生命保険を残す哀しみ。
 
「いずれ結婚したら受取人を妻に変更するつもりでした」。人生の海図を完璧に描いていた秀雄。その無念は、金田医師にしっかりと伝わりました。だからこそ、金田医師は「親も味方にできない、仕事場の人にも“迷惑をかけるギリギリまで”言えない」秀雄に、きっと味方が現れると言いました。ある日突然現れると言いました。そしてその人は、生涯を通じて味方になると言いました。その人を逃がさないように、と言いました。

 予言者、金田医師。無責任な、希望を与えてみる。堅実で、自分一人で生きる、と哀しい覚悟を決めている秀雄だからできることですね。何事も、はずれてもともとと思っている秀雄だから。でもきっと、八割方は確信があったような(笑)。陽輪学園の定期検診を担当する病院で、学校とのつきあいも深いわけですし。いや、背景を全部知っているわけではないでしょうが。
 
 金田医師は最初にみどりが訪ねてきたときから、感じていたのですね。同僚の誰も疑問に思わなかった「友人を助けて一緒に落ちた」という嘘に、ただひとり、まっすぐな瞳で反応したみどり先生。誰かに恋をしている秀雄。
 
 今回は、作品自体が実にうまく「生き急ぐ」よう設定づけられていることを強調した回でした。
 
 妊娠騒動で熱くなる秀雄に「大人になれ」「他にすることがある」とあっさり言ってのける同僚たち。
 
 なかなかの人格者に見える理事長。この理事長の下、なぜこんなとんでもない生徒たちが?……という疑問に「今まで通りキミがやって」と共闘に語る言葉が答えます。
「超有名進学校」だから、今や大問題となっている避妊やHIV感染など、「自分が損をしていい大学に行きそびれるようなバカなことをする」生徒など今までいなかった。だから、進学以外の細かい指導も必要ではなかった。小学校から性教育をするこの時代に「超有名進学校」という設定が、ここで生きてきました。本当に実績のある、進学校なのでしょう。

 そして、秀雄が就職したのも、もちろん「最高の環境、かつ、転勤のない私学」。もしかしたら、生物の教師って、一番就職率が良かったのかな? 生物が好きで生物の先生になったような気がしないんですよね、なんとなく。もし生物が好きなら、べつに余命一年にならなくても、もう少し、何か覇気があるような気がするんですが。最初はあったけど、今は諦めたのであれば、もっと授業に活気が出てきてもおかしくないですし……。たとえ聞いてくれるのがひとりでも。

「超有名進学校のPTA会長」は当然絶対であります。おそらく他の親たちも、幼い頃から「いい大学からいい会社・組織に入って出世させてやるために育ててきた」親ばかり。家の手伝いなんかしなくてもいいんですよね。
 わたしの知り合いに何人かそういう人がいます。男性ですけどね。本当に、何もできません。しかもそれを当然と思っている。宇宙人を見るような気分です。全員既に40代です。子どもを、自分と同じように育てるよう、妻に命じている人がいます。命じているのです。受験に失敗すれば、妻を罵倒します。いい学校に進めないような子どもは、それだけで人間失格だと本気で言います。自分は子どもに関することは、何もしません。仕事だけです。
 別の男性は、子どもをほしがる奥さんに絶対嫌だと言い続けています。奥さんはもちろん専業主婦で、そして彼は、激務を終えて自宅に帰ると、夜、ベッドの中で奥さんに「抱っこ」してもらうのです。夫婦生活ではありません。「抱っこ」です。頭をなでてもらうのです。そして眠るのです。
 様々なケースがありますが、皆同じなのは「自分のことしか考えていない」ところです。
 そして「問題を起こすのはPTA会長の子ども」。それだけ見ればステレオタイプでありますが、1話からの流れで見ると、生き急ぐ秀雄と、生き急ぐ作品自体が、ぴったりと一致して、いっそ気持ちがいいほどでした。もちろん伏線も既に張ってありました。金のために医学部に行こうと思ったけど、大学病院の医者は儲からないから嫌だ、とあっさり言ってのけた彼に、まだようやく動き出したばかりの秀雄は、なにも言えなかった。
 
 その彼が、怒りました。初めて怒りました。第一話で、不良たちにぶつけた怒りとはまったく違いました。
 PTA会長である母親にあやまるはずが、ケガはともかく「医者失格」を宣告した件ではどうしても、どうしても、どうしてもあやまれず、息子の妊娠騒動を持ち出して、母に思いっきり言い放たれる。

「突き飛ばした上に、侮辱するなんて!」

 無力です。秀雄は無力です。誰も味方はいません。何もかも、空回りでした。少しずつ、自分の道を歩こうと、しかも生徒たちのために行動しようと、前向きになっていたのに。この時のクサナギツヨシの目。無力感に打ちのめされた、目。わたしが今回、一番好きな瞬間でした。
 
 でも、そんな彼を、ずっと見ていてくれた人がいました。みどり先生。
 第四回の初めで、「中村先生、変わりましたね」というみどり先生に「人間、そう簡単に変われるもんじゃないよ」と言ってのける久保先生。その久保先生が、PTA会長の息子雅人の件では、これまたあっさり、医者失格は言い過ぎだよ、7、8年先に人格が備わると言うこともあるわけだし。
 
 秀雄が「変わった」とみどり先生が言うのは、ここ数ヶ月のことですから、7、8年という年月と比べるのはおかしいかもしれませんが、確かに人は変わるのですよね。変われるのです。そして、今、変わってほしい、と秀雄は雅人に願いました。自分と同じように。
 
 でも、一所懸命、彼なりに「変わった自分」は、結局無力な自分でした。
 公園を怒りにまかせて歩く秀雄、その足取りが、次第に重くなる……絶品のシーンでした。この道はいつも通る道。そして、こんなに歩いてきたのに、まだあんなに先がある道。あるいは、あそこで終わる道。
 
 高級レストランで待ちぼうけの久保先生の前に、空っぽの席。
 そして、居酒屋で酔いつぶれる秀雄の隣の席に、運命の人が。

 わたしは、「ラストオーダーですが」と言われた瞬間に、みどり先生が「砂肝お願いします」と言うだろうと思っていましたので、あれ?……それをオチに持ってくるとは……やられました。笑って、泣きました。
 
 第四話のクサナギツヨシは、第四話の中村秀雄でした。




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