『僕の生きる道』第三話

〜「空回りでも螺旋状に昇ればいい」〜

湯山きょう子


 肩に、思いっきり力の入った『僕の生きる道』(笑)。


 第二話の感想、最後をそう締めくくりました。もちろん、第三話を見たあとで書いたからではありますが、当然そういう展開であろうと、多くの皆さんも思われたでしょう。

 入りまくってましたねえ、力。
 第二話の開き直りとは異なり、秀雄にとっては真っ向勝負。
 ビデオ日記を始めた秀雄。もちろん、最後の記録を残すためでしょう。漠然と、誰に残そうと想っているのか。母親。医師。同僚……。
 
 記録であると同時に、リアルタイムの自分と向かい合ってしまう「ビデオカメラとモニター」の怖ろしさが、実に効果的でした。自分が一番わかってしまう、自分の、嘘。自分の、非力。自分の、目をそらしてしているところ。モニターの荒いモノクロ画面が何とも言えません。定点観測。日々同じアングル。いつか、屋外や学校の屋上で撮ったりしないのかな。

 せめて生物の時間は生物の授業を聴いてくれ、と訴える、しかし、その訴求力のなさ。もっと言い方が、もっと言うことがあるはずなのに。生物のすばらしさとは? 受験前の今、知ってほしいことは?
 
 不登校の生徒をなんとか学園に戻そうとする、柄に合わない熱血先生。しかも生徒の方が上手。
 
 そうそう。「好きになる人」も「友だち」も、「作る」ものではなく「そうなっちゃう」もの。そんなこともわからないで、先生になっちゃった人。別に歌手にならなくても、他の道はあったでしょうに、一話で言っていましたね。引っ越ししなくていいから、家族を持ったときに、家を買うときに……。秀雄が生物を選考した理由、いつか知りたいですね。

 秀雄は自分自身で宣告を受けました。三話でやっと、余命をはっきり宣告される回顧場面。実にうまい作りです。ドラマに登場していない部分で、秀雄と医師の間にさまざまな会話や交流があった出あろうことが、そしてこれからもあるであろうことが、心に染みます。
 
 このシーンを見て、第一話を思い出しました。「できればご家族の方と一緒にお話ししたいんですが」と言われて、「学校に帰らなきゃ……」いい加減にしてくださいよ、急いでるんですよ、という“日常”から、すうーっと血の気がひいていく秀雄。
 
 「……僕、なんの病気ですか」
 
 あの表情を思い出すと、今でも胸が痛くなります。あのシーンが、あそこでスパッと切られていたから余計に。そして、あとで、あとで、タイミングよく出てくる、見たかったシーン、聞きたかった言葉。
 
 空回りを続ける秀雄は愛おしく、健気で、バカです。あんた28になるまで、そんなことも知らなかったの、想像したこともなかったの、なぜ自分の心にフタをして生きてきたの? そのフタの中には、何が入っているの?
 
 結婚式のスピーチ。ポロポロ涙が流れて止まりませんでした。最初に拍手をするのが新郎、というのがいい。新婦の、なんとも「平凡」な風情も素晴らしい。
 
 私事ですみません。以前、友人の娘さんの結婚式に出席したときのこと。新婦側の筆頭来賓は、著名なテレビドラマ脚本家でした。しかも当時、ワイドショーで泥沼離婚騒動報道真っ盛り。はてさて、どんなふうにこの方の出番がやってくるのだろう、と、ドキドキしながら待っていました。最初の挨拶はもちろん新郎の来賓。乾杯の音頭も新郎側だったかな。それから新婦側の来賓の挨拶も交互に続き、かの人の出番はやってきません。やがて「では皆様ご歓談を」と、お食事タイムに突入してしまいました。おやおや。
 そして、最後の最後。スピーチのトリとして登場したのが、かの人でした。新郎側はもちろん、新婦側も固唾をのんで耳を傾けます。記憶頼りであることをお断りしておきます。ですからその方の実名も出しません。
 
 まずは型どおりのお祝いのあと、こんなふうに切り出しました。
 
 「わたくしは、このおめでたい席に、現在最もふさわしくない人物であります」
 
 会場大爆笑。つかみはOK。それから、それでも招待してくれた、高校時代の親友である新婦の父への感謝、幼い頃から知っている新婦のかわいらしさ、等を語り、そして、こんなふうに結びました。
 
 わたしたち夫婦も若い頃、40になったらあそこに旅行しようね、50になったら60になったら、あんなこともこんなこともしたいね、と、たくさんの夢を持っていました。しかし、今、その夢は、わけあって果たせません。子どもができたら、30になったら、40になったら、なんて先々の計画を立てず、今できることは今してください。今、二人でしたいことは、今してください。毎日を大切に、お過ごし下さい。計画通りに行かなくなる理由はいろいろありますが、それが人生です。だから、人生より面白いドラマは、なかなか書けないのです。どうかお幸せに。

 万雷の拍手、そして、それまで遠くからそーっと眺めていた新郎側のお客さんたちが、どどーっとかの人を取り囲み、時ならぬサイン会となりました(笑)。

 計画通りに行かなくなる理由はいろいろ。本当に色々あります。そもそも、自分が建てた計画通りに行く人生なんて、本当にあるんでしょうか? そしてその通りに生きた人はいるのでしょうか?
 
 秀雄はキッパリと、1年という残り時間を宣告されました。多少の前後はあるでしょうが、28歳の若さで、あと1年。「1年」にこだわりすぎて、空回りする秀雄。今、世の中で一番焦っているのは自分だと信じて疑わないでしょう。でも「計画通りに行かなくなる理由はいろいろ」。秀雄より先に、何かの理由でこの世を去る仲間もいるかもしれない。そんなことは想像もできず、空回りを続け、それを「充実しています」。と笑顔で“わざわざ”医師に伝えに行く。

 肯定することで、否定してもらうために。

 第三話の秀雄くん。

 空回りでいい。動いて、回って、苦悶して、悩んで、恨んで、考えて、気づいたら螺旋状に少しずつ、高みに登っていけばいい。

 クサナギツヨシは全編通して、第三話の秀雄に命を吹き込んでいました。
 
 楽しみに、今夜の第四話を待ちます。一切、あらすじを見ません。
 
 クサナギツヨシのドラマを見るにあたり、こんなことは、初めてです。




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