『僕の生きる道』第二話

〜「この道はいつか来た道」〜

湯山きょう子


 秀雄の本棚に、わざとらしく並ぶピカピカの本。
 「30歳でマイホームを買う方法」「コツコツ人生」「年金マニュアル」「日進月歩健康法」。出版社が笑えます。“大器晩成社”“早熟社”。

 それをはさんで、かなり古びた愛読書らしき文庫本。
 「笑うな」(筒井康隆)、「復讐はオレの血で」(大藪春彦)、「古典落語」(角川文庫の数十冊シリーズの中から一冊だけ)、「宇宙大作戦」(ご存じスター・トレック)、「大いなる幻影・死者の入り江」(カトリーヌ・アルレー)、「徳川家康」(山岡荘八版?)、「勝海舟」(子母沢寛)、「人生劇場」(尾崎士郎)。創元推理文庫やハヤカワミステリ文庫、サスペンス系、定番歴史物の古い文庫、わたしは彼よりかなり年上なのに、中学高校で読んだ本がかなりだぶっていておかしくなりました。わざわざ実家から持ってきた本ですよね。小さなアパートに。
 
 秀雄が思いつく限りの「豪遊」。
 秀雄が思いつく限りの「大胆な行動」。

 それらはすべて
 「今まで28年間生きてきた自分の過去」
 「自分が歩いてきた道で“見た・聞いた・感じた”過去」
 
 との安易な“対比”による行動でした。つましい生活に対する豪遊、事なかれ主義に対する大胆な行動。僕の生きて「きた」道、を振り返って、第二話の今、秀雄に見えるもの、聞えるもの、思い出せるもの。
 
 だから、
 
 医師に安楽死を迫る目の異常な怖さ。待合室の静かな目の狂気。
 医師に自殺を戒められ、何かが違っていたと気づく表情。
 新生児室の赤ん坊を見る表情にあふれでる、忘れていた想い。
 電話越しに、母の声を聞く秀雄。そこから続く号泣へのシーン。
 
 そのすべてに、「第二話の時点での秀雄」がいました。紛れもなく、第二話の中村秀雄でした。
 クサナギツヨシは“中村秀雄”に命を吹き込んでいます。もちろん、脚本、演出、共演者、その他スタッフ全員の力によって、この作品はレベルを保っています。そして、
 
 「よい本と演出に出会ったときのクサナギツヨシは、よい」
 
 という法則が、やっと帰ってきました。やっと会えたね、わたしの会いたかったクサナギツヨシ。

 この道はいつか来た道。
 
 第一話から、ポイントポイントで流れる『この道』。しかも、和音の合唱ではなく、ユニゾン。そして、伴奏なしのアカペラ。
 
 作詩、北原白秋、作曲、山田耕筰。。
 明治十九年(1886)年生まれの山田耕筰は、童謡を二つに定義しています。
 ひとつは“遊技的童謡”。子どもの表面に見える戯れ心をおとなが自己流の鏡に反射したに過ぎないもの。
 もうひとつは“芸術的童謡”。おとなが直感した、またはおとなの心の奥底に潜在していた子どもの心が自発的に流れ出て歌となったもの。
 『この道』は、もちろん、後者であります。

 服部公一の『子どもの声が低くなる!』(ちくま新書)を読みました。
 
・この二十有余年間に、日本の子どもの歌声が昔より三度ほど低くなっている
・原因の一つは家屋の変化か。昔の木造家屋は声が通りにくかったので、
 必然的に大声になり、大声は高くなり、高い声を出す機会が多かった。
 現在のコンクリート建築は反響がよく、大声を出さなくてもよい。
・もうひとつは、屋外で遊ばない→大声(高い声)を出す機会がない
・さらに、テレビの普及。アンプを通した声は当然大声である必要はなく、
 演出上の必要がなければごく普通の話しかける調子。
 
 5、60年の間に、食生活等のせいで声帯がのびて声が低くなることはあり得ない、と専門家は語っているそうです。「どんな声を出したいか、の心理的影響」であろう、と。
 
 さらに、テノール歌手受難の時代である、という話も出てきます。それはアンプが普及したから。まさか屋内のオペラでマイクを使うことはありますまいが(いや、ありますが……それは観客がかなりバカにされているということで……)、本場ヨーロッパでも夏の野外劇場等では無線マイクを使うそうです。すると、バリトンやアルト等の低音が実にイキイキと自然に響く。爾来、テノールはアンプを通さず、生声で輝かしき歌心を伝える音域ですから、アンプを通すととたんにバリトンやアルトに負けてしまうのだそうです。実際、現代の歌曲やオペラから、テノールの見せ場はどんどん減っているのだとか。
 
 秀雄の小学校の頃の夢は「テノール歌手になる」でした。
 
 『子どもの声が低くなる!』には、日本の音楽教育に厳しい意見も登場します。
 
 曰く、中学、高校に、音楽の授業が必要なのか? 少なくとも、「一人ずつ前にでて、先生のピアノ伴奏に乗せて、しかも、昔通りの比較的高い音域の歌を、先生の歌ったとおりに、できるだけ似せて歌うのをよしとする」、そんな成績のつけかたがあってよいのか?

 変声期にクラス全員の前に立ち、無理矢理出にくい声を出して、オンチのレッテルを貼られ、ここで決定的な音楽嫌い、歌嫌いになった男性の多きこと、むべなるかな、と。しかし悲しきかな、「歌いたい」という健康的欲求により、酔った勢いで、一人風呂場で、調子っぱずれの歌をくちずさむ中高年男性は、珍しくなかろう、と。
 
 秀雄の小学校時代の夢が、なぜ消えたのか。それはわかりません。歌手などという非現実的な路線を捨て、堅実に、まるで生命保険の勧誘員が作ってくる設計図のように、自分の「道」を決めたのはなぜなのか。
 
 アカペラの美しい『この道』。
 
 第二話で、「30歳でマイホームを買う方法」「コツコツ人生」「年金マニュアル」「日進月歩健康法」や古い書類をバサバサと捨て、「僕の生きてきた28年間の道」を忘れ、これからの道を作ろう、歩もう、と決意した秀雄。いよいよここからが『僕の生きる道』。
 
 肩に、思いっきり力の入った『僕の生きる道』(笑)。




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