『僕の生きる道』第一話

〜「やっと会えたね」〜

湯山きょう子


 第一話が始まり、エンディングテーマが終わるまで、身じろぎもできませんでした。息が詰まりました。胸が詰まりました。泣きませんでした。ただ、ただ、画面を見つめ、耳を澄まし、終わった後もほうけたような状態でした。ぷっすまは録画しておいてあとで見ることにしました(笑)。
 
 「やっと会えたね」。
 
 え。これ、二話のセリフじゃないの?……と思われるかもしれませんが、わたしにとって、やっと会えたクサナギツヨシなんです。
 『スタアの恋』も、適役だ! 環境もいい! と、始ったときはそう思いました。でも、「やっと会えた」その対象が、ちょっと違うのです。
 どの雑誌だったか、今手元にないのでそのまま書けないのですが、
 
「秀雄という人物に魂を吹き込みたい」

 そんな発言がありました。それを読んで、わたしは思ったのです。「やっと会えたね」、と。演じるのではなく、いやもちろん演じるのだし、演技についていろいろ考えるのも必要だし、でも、
 
「演技者クサナギツヨシは架空の人物に命を与えるのが仕事」

 と、ずっとずっと思っていたわたしにとって、この発言は何か、大げさですが、天の啓示のように聞えました。つまり、大変個人的な感慨なのです。ま、感想は個人的で当たり前ですね。
 
 スタッフを見て、また何か感じるものがありました。
 監督・星護。『いいひと。』が、ドラマとして大好きだったわたしは、今この時期にまた星監督と仕事ができるのか、と、嬉しくなりました。演技者クサナギツヨシの「ファン」になったのは『成田離婚』ですが、『いいひと。』はお話としてとても面白かった。毎回どうなってゆくのか、楽しみでした。周りも、伊東四朗、財前直美、京本政樹ほか芸達者ばかり。クサナギツヨシ個人に強くひかれたのはもちろんですが、それは、徐々に、でした。伊東さんと将棋を指すシーン、屋上のシーン……。そして決定的だったのは、かなり後のほう、焼却場で火中に放り込まれるシンデレラ(透明ビニールのスニーカー)を見る、彼の目にうたれました。あれはすごかった。何も見ていない、目。
 
 脚本・橋部敦子。3話まで、伝説になるんじゃないかと思うほど素晴らしかった『スタアの恋』が、そのあと急激に失速したのは、当然のことながらエピソード不足でしょう。3話であんなに心が通じ合ってしまったふたりを“引き離す”エピソードに、脚本・中園ミホはかなり苦しんだのではないかと想像しています。想像です。想像の上にさらにこれも想像ですが、その間を見事に埋めてくれたのが、橋部敦子でした。彼女が担当した回は、ムリのない、いい話が多かった。最初に発表されたとき、脚本は中園ミホ一人だけでしたから、作ってゆくうちにヘルプで入ったのかも……なんて思ったりして。ドラマづくりにたくさんの人が関わるのはよくあることで、もしかしたら橋部敦子も土台作りの手伝いはしていたのかもしれませんが、あまりにも突然の登場に、びっくりしました。彼女が今度は、じっくりクサナギツヨシと取り組んでくれる。期待してしまいます。そして、期待通りでした。
 
 一話は、タイトルがでるまで、20分以上。一気に見せました。近頃のドラマ、しかも延長の第一回は、そういう作りが多いようですね。一気でした。シナリオと演出とその他のスタッフと演技者たちが、素晴らしく緻密な世界を組み立てていました。息をするのも忘れるほど、見入ってしまいました。
 
 日常、宣告、呆然、ちっぽけな秀雄にぴったりサイズのちっぽけな自棄っぱち行動、変わらない日常、自分がある日消えてもこのまま変わりなく続く世界、突然気づく理不尽さ、怒り、そしてそれが医者に向かい、受け止める医師・小日向文世。
 
 誰でも、必ず死にます。悲しんでくれる人はいるでしょう。ずっと想ってくれる人はいるでしょう。それは映画の方ですが……でも、誰が想ってくれようと、その想ってくれた人も、いつか死にます。そして、世界は変わらず続いてゆく。
 
 哲学者・中島義道は、5歳の時それに気づき、その恐怖に耐えられなかったそうです。わたしは考えたこともなかった。当然だと思っていた。身内もなくしているし、友人も、知人も、たくさん、先に逝ってしまった人たちがいます。でもずっと想い続けている人はいない。それこそ日常が優先です。毎日、自分自身がなんとか生きていくので精一杯です。
 
 時々何かの拍子に思い出すのです。ああ、彼は、彼女は、今生きていたら、と。
 
 誰もが持つ「一人称の世界」。
 
 今わたしはパソコンに向かってこの文章を書いています。だから、今、自分以外の人が、どこでなにをしているのか何もわからない。ただ「パソコンに向かってドラマへの思いの丈をつづっている」のが、わたしの現実です。窓の外にはマンションが見えて、道路を車が走っています。しかしそれ以外はわからない。インターネットでニュースサイトを見たって、新聞を見たって、テレビを見たって、それは「わたしが今、そういうことをしている」という現実以外の何ものでもない。
 
 『僕の生きる道』。彼の、ではなく、僕の。
 
 じっくり見せてもらいます。星監督は、今回はくるくる回さないとテレビ雑誌できっぱりおっしゃっていましたし(笑)。
 そして、エピソードに困ることも、今回はないと信じています。真剣に、ストーリーを最後まで運ぶための苦労は、脚本家、演出家、制作者、みなさんなさるでしょうが、『スタアの恋』のように、すでに心が通じちゃった二人をむりやり引き離すのに四苦八苦するようなことはなく、つまり、純粋に「いいものを作るため」の苦労は、プロにとっては苦労ではありません。ややマゾヒスティックな喜びですらあるかもしれません。

 しかしコマーシャルが多いですねえ、このドラマ。スポンサーがついてくれるのは嬉しいことですが。コマーシャルとコマーシャルの間が、4分台とか5分台、ってのはともかく、せめてコマーシャルの前後のに余韻のフェイドイン・フェイドアウトぐらい入れてくれませんかねえ。DVDに編集するとき困るんですよ、って、自分の趣味の話ですみません(笑)。

 「やっと会えたね。架空の人物に魂を、命を持たせようと、クサナギツヨシが思える作品に」。




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